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平成の虚無僧一路の日記

会津藩家老「西郷頼母」とは 

2012年06月03日 外部ブログ記事
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来年のNHK大河ドラマ『八重の桜』で、「西田敏行」さんが
演じる 会津藩家老「西郷頼母(たのも)」とは? なんと
「姿三四郎」のモデルとなった 柔道四天王の1人「西郷四郎」の
養父なのです。

「西郷頼母」は謎の多い人です。

まず、先祖は「保科」氏です。会津藩祖「保科正之」は、
実は 徳川2代将軍「秀忠」の落胤で、正室「お江」に
気兼ねして、信州高遠の保科正光に預けられます。
「保科正光」には子が無かったので「正之」が「保科家」の
跡取りとなりますが、「正光」の叔父「正俊」の嫡流が
西郷家の祖でした。つまり、家老の「西郷」の方が
「保科」の血を継いでいるという、ややこしい関係でした。

それで、西郷家は代々筆頭家老となりますが、「西郷頼母」は
藩主「松平容保」が「京都守護職」の内命を受けた時は、
「火中の栗を拾うものだ」と反対し、また「鳥羽伏見の戦い」
以後も反戦和平を唱えるなど、藩主には煙たがられ、他の
家臣たちからは嫌われていました。

それで、藩主の命で追放され?行くへ不明になります。
そのような経緯もあってか、官軍が会津城下に侵攻した
8月23日、残された妻子縁者21人全員が自害しました。

さて、明治の世となり、藩主「松平容保」に嫌われて
いたはずの「西郷頼母」ですが、「容保」が日光東照宮の
宮司となると、禰宜として側近に仕えたりしていました。

1903年(明治36年)十軒長屋で 身寄りの無い「独居老人」が
亡くなりました。それが「西郷頼母」でした。74歳。

ところが、「西郷四郎」を養子にしていたことが後で
判るのですが、その経緯や親子としての関係は ほとんど
不明なのです。


そんな難しい役を「西田敏行」さんがどのように演じられ
るのか、興味あります。

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