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平成の虚無僧一路の日記

5/19は「桶狭間の合戦」があった日 

2012年05月19日 外部ブログ記事
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今日(5/19)は 450年前の永禄3年(1560)、織田信長が
今川義元の大軍を破った「桶狭間の合戦」があった日です。

鳴海の「中島砦跡」で イベントがあり、それに 琵琶の
糸井藍水さんと、鳴物の林鈴花、そして一路会会員で
演奏してきます。

鳴海の中島砦は、織田信長が桶狭間への決断を下した
場所であり、「信長出世の地」として、鳴海の“町起こし”に
しようと、毎年 近藤親典さんが中心になって企画されて
いるものです。


「桶狭間の合戦」は、「信長が 激しい雷雨の中 迂回して、
太子が根の山頂から、窪地で休息していた義元を襲った」
というのが定説ですが、最近、この「奇襲説」は 否定
されているようです。

「桶狭間の真相(真実)」で検索すると、実に様々な説が
浮上してきています。

今川方は、国人(在地豪族)の集合隊でしたから結束力が
弱かったのに対して、信長は、馬廻衆 500騎という専従の
騎馬隊を養成していました。つまり、信長は近代的な
軍隊をいち早く組織した人で、兵力的には、信長の方が
優勢だったと言うのです。

信長は また、蜂須賀小六や簗田正綱を使って、義元の
居場所を正確に掴んでおり、そうした情報戦にも長けて
いたので、信長は勝つべくして勝ったのでした。

「原発事故」や「交通事故」も起こるべくして起きた
ということを「桶狭間」からも考えさせられます。


「尺八と一休語りの虚無僧一路」のホームページも見てください

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