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平成の虚無僧一路の日記

浄土真宗のお寺で法話を聞く 

2012年04月18日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



縁あって、浄土真宗のお寺で「法話」を聞いてきた。
午前、午後 計3時間で、釈迦から親鸞聖人までの流れを
明快に説いて聞かせてくれた。その3時間が短く感じる
ほど、話が実に上手かった。

そもそも「浄土真宗」は、世間一般が思っている仏教の
常識を覆す宗派だ。「お盆」も「お彼岸」も「水子供養」
も「般若心経」も“必要ない”と切り捨てる。「霊」の
存在も否定する。死ねば 誰でも即「成仏」するのだから、
「亡くなった人の霊が、まだ成仏できずにさまよって
いるので、○○しなさい」というような「霊感商法」を
切って捨てる。「お墓の方位」だの「墓石」の色形にも
こだわらない。だいたい、お坊さんなのに髪を剃らない。
すべて虚無僧の「普化宗」と同じだ。

ところが、「浄土真宗」は、「阿弥陀の本願・他力」に
救いを求める。「他力」は「他人任せ」とか「念仏を
唱えれば、なんでも問題が解決する」と思われがち。

それをどう説明するかが、難しい。

昨日の講師は、実に明快に説明してくれた。
神社やお寺で、手を合わせて“お願いごと”をして、
宝クジ当たりましたか?、戦争 勝てましたか?てな
例を 具体的に 面白おかしく話した後、「青は青。
赤は赤、白は白で、それぞれ美しく輝けばいい。
他と比較するな。起きてしまったことの原因や責任を
他に求めるな。すべては「自分のこと」として、
本分を全うせよ。「弥陀の本願(=誰でも救う)を
信じて、オンリーワンの尊い命を真剣に生き切る
ことだ。と力強く、雄弁をふるう。その迫力に
納得させられる。

結局、雑事(=神や他の宗教を信じる迷い事)を捨て、
ひたすら信じる道を進み、「自力更生」を説く。
普化宗の虚無僧とも共通するものがあると知る。

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