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平成の虚無僧一路の日記

加山雄三に学ぶ 

2010年06月09日 外部ブログ記事
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慶応の先輩ということもあり、私の鏡のような存在だった。
「典型的な慶応ボーイ。若大将」として人気絶頂の33歳の時、
母親の小桜葉子が亡くなり、茅ヶ崎のホテル・パシフィックが
倒産した。
(その時、私は21歳。“若大将”気分で、発売されたばかりの
トヨタ・セリカを駆って、湘南海岸を疾走し、パシフィックにも
よく行った。青春の思い出の場所だった)。

加山雄三にとってホテルの倒産ぐらい、“へ”とも思わぬの
だろうと思っていたが、今朝の『ラジオ・深夜便』は、聞き
応えがあった。

「人気絶頂での倒産。舞台では笑顔をふりまいて、舞台裏では
債権者に土下座して謝る、苦しい時代だった。そんなときに
結婚。(妻は松本めぐみ)。マスコミは「こんな時に何考えてる
のか」と「加山雄三結婚事件!」と報道。仕事も無くなり、
周囲の人も皆、サァーと離れていった」と。

よく奥さんが、支えてくれたものだ。それだけに、「子供の
育児も二人で分担。3時間ごとのミルクは、交代で やれば
6時間ずつ眠れる」と。

加山雄三は『理想の父親』ナンバー1 になったことも。朝は
5時半に起きて、奥さんと朝ごはんの支度。子供4人、小学校
卒業までは、毎朝、全員そろって食事をした」とのこと。
場末のキャバレー周りもし、借金は 10年で返した。

「人生、誰にも辛い時、大変な時はある。享楽は失うものが
多く、苦しみからは得るものが多い」とか「 99 % 苦しくとも
1% の喜びが、苦しみを払拭してくれるのだ」等など、一言
一言重みがあった。




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