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平成の虚無僧一路の日記

大杉・野枝の「フリー・ラブ」 

2012年03月09日 外部ブログ記事
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中日新聞夕刊に連載中の瀬戸内寂聴の『この道』。

伊藤野枝(のえ)を中心に、大杉栄とその妻「掘保子」。
大杉の愛人の「神近市子」との複雑な恋愛関係が綴られて
いる。

伊藤野枝は福岡から上京して 上野高等女学校にはいり、
親が決めていた婚約者を捨てて、英語教師の辻潤と結婚。

「平塚らいてう」に傾倒し、女性文学集団「青鞜社」で
働き、与謝野晶子・岡本かの子らと親交を深めた。

やがて大杉栄と熱愛し、身を寄せる。大杉には 既に妻の
「堀保子」と愛人の「神近市子」がいた。

この複雑な恋愛関係を公表し、世間からは非難の的となる。
その辺のことを「瀬戸内寂聴」は詳しく、小説仕立てで
書いている。大杉が野枝に宛てた手紙など、大部分が
残されていることも驚きである。

大杉は「自由恋愛の3カ条」を掲げる。
一、互いに経済的に自立する。
二、同居することを前提にしない。
三、互いの性的自由を保証する。

今でこそ「渡辺淳一」が「一夫一婦制は不自然」とのたまわって
多くのファンを得ているが、大正デモクラシーとは言え、
まだまだ「倫理」のやかましい時代だった。世間は、大杉や
野枝に非難轟々だった。

それもあってか、大正12年(1923年)9月1日の「関東大震災」から
間もない16日、大杉栄と野枝は 大杉の甥・橘宗一(6歳)とともに
憲兵に連れ去られ、その日のうちに扼殺された(甘粕事件)。

遺体は、畳表で巻かれ古井戸に投げ捨てられた。野枝28歳。
死因鑑定書によれば、二人共 肋骨が何本も折られていたという。

首謀者は「甘粕(正彦)大尉」とされるが、真相は不明。

野枝に捨てられた辻潤こそあわれ。彼は虚無僧となって
生涯を閉じた。死因は餓死。ジャジャジャジャーン。私もか。

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