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悠々閑々に暮らす身辺雑記

春を探しに伊豆の旅、下田から松崎の宿へ 

2012年02月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

旅の2日目の宿は、松崎にある築300年の庄屋をホテルに改装した大沢温泉ホテル・依田之庄です。
建物の一部が文化財に指定されています。
和の風情、日本文化の良さが体感でき、昔の栄華が偲ばれるのです。



伊豆急下田駅から宿の車で、およそ40分で着く。
古くは牋妖張両鵜瓩箸盡討个譴紳臑瑤領い砲△襦
那賀川のほとりに建つ豪壮な庄屋屋敷です。
由緒ある家柄の依田家が、昭和36年から大沢温泉ホテルとして旅館業を営んでいる。



大沢温泉ホテル本館となっている依田邸の母屋は、本瓦葺で約300屬△襦
推定によるとおよそ320年前、元禄年間(1688〜1704)初期の建築だろうといわれている。

        広い土間、どっしりと太い大黒柱、梁が、江戸時代の重厚な庄屋建築の面影をよく残している。





        伊豆独特のナマコ壁のお蔵が、良い雰囲気を出している。



 依田家のルーツは信濃源氏だといわれ、信濃守源為公の6男・依田六郎為実を祖とし、代々、信濃国小県郡依田村(現在の長野県小県郡丸子町)の依田城に居をおく豪族であった。

 治承4年(1180)為実の子・諏訪次郎実信は、平家追討の兵を率いる木曽義仲をこの城に迎え入れ、自らは同じ小県郡にある高築地の館へ移り、後に佐久郡の芦田城主となった。

 天文年間(1532〜55)依田氏は下野守信守のとき甲州武田氏に属し、重臣として用いられ、信守の子・常陸介新太郎信蕃は武田勝頼のために、駿河と遠江の城を守っていた。

 しかし、元亀3年(1572)徳川家康を三方ヶ原で破った武田信玄が、その翌年信州・伊那谷で病歿。あとをついだ4男勝頼も天正10年(1582)、天目山の戦いで織田信長の軍に敗れ、ついに武田氏は滅亡してしまう。

 こうして依田一族は伊豆の松崎へと逃れ、一時は伏倉地区の豪族藤池太郎左衛門宅にかくまわれていたが、やがて人里離れた大沢の里に居を構えた。

 昔は庄屋元締めとして、山林の伐採、炭焼き、川を利用して木材や炭を松崎港へ、さらに船積みしなおして江戸へ運んだこともあり、明治4年には11代の主佐二平がここに民間初のフランス式製糸工場(松崎製糸場)を創設、狆昇螢轡襯瓩量召漏こ阿砲泙巴里貪呂辰燭曚匹澄
                               by 松崎町公式ホームページ 


当時の面影を伝える懐かしい民具などが飾られ、情緒豊かなお宿です。




          蛍の舞う庭


温泉は全て源泉掛け流し、泉質は美肌の湯なのだそうです。

          屋上にあって、景観が素晴らしい。
          満天の湯


内湯は、夜と朝で、殿方と婦人が入れ替わる。
浴室は100坪の広さの建物に総桧造りの浴槽が、かけ流しの豊富なお湯が満々とたたえている。



         庄屋の湯



         化粧の湯

300年来の庄屋屋敷(なまこ壁の建物)、那賀川の渓流を引き入れた約3000坪の庭園、そして泉質の良い温泉が、どこか懐かしくて暖かい、やすらぎの宿でした。
桜の季節か、蛍が舞う季節に、この鄙びた地に再訪したいと思う。

2012.2.20

3日目は今回の旅の目的である河津桜見物です。

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