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平成の虚無僧一路の日記

村野藤吾と丹下健三 

2012年02月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



建築界の巨匠「村野藤吾」と「丹下健三」はよく比較される。

丹下健三は、赤坂・大津のプリンスホテル。村野藤吾は、箱根・
新高輪・京都宝ヶ池の各プリンスホテルを手がけた。同じプリンス
とは思えない、全く異なる二人のキャラが強烈に出ている。
私は「村野派」だ。

丹下健三は、1964年の東京オリンピックのために造られた
「国立屋内総合競技場」。そして目白の「東京カテドラル
聖マリア大聖堂」で、一躍有名になった。

そして1991年の新宿の「新都庁舎」。丹下は、34年前の1957年、
「旧東京都庁舎」も手がけている。ビルの前に「太田道灌」の
像があった。このビルは、外壁が「鉄とガラス」で構成され、
これぞ「現代建築、モダニズム」と絶賛されていた。

その時、村野藤吾は「あのようなものを造ってはいかん」と
批判的であった。私は千代田生命の不動産部勤務の時、何度か
都庁に行ったが、 都庁の職員は、書類を山積みにし、もう
フロアーも足の踏み場も無いほど、ゴミゴミ、メチャクチャ
な使い方をしていた。「建物は、そこに住む人、働く人の
心にまで影響する」というのが村野の持論だった。

そして 村野藤吾は、「自分ならこうする」とばかりに、
千代田生命ビルを、丹下の「旧都庁ビル」と同じく、「鉄と
ガラス」のビルとしながら、重厚で繊細、シンプルで華麗、
モダンでクラシックという、全く相反する価値観をすべて
包含する「ポスト・モダン」の美を完成させた。

丹下の「旧都庁舎」は、34年で壊され、新宿に超高層ビル
として新たに建設された。これには鈴木都知事との癒着が
噂された。赤坂プリンスも閉館となり壊される。村野の
建築は、半世紀を経てますます輝きを増している。

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