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平成の虚無僧一路の日記

村野藤吾のナチュラリズム(自然主義) 

2012年02月12日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



村野は 日本家屋でも、ホテルでも、正門から玄関までの演出に
こだわった。

千代田生命も、正門から建物の正面玄関まで、ゆるいカーブの
スロープになっている。右手には木々が植えてあり、枝葉の
間からビルが見え隠れする。

その玄関前の木立だが、これまた逸話がある。
村野藤吾は、この玄関前の木々を「武蔵野の森」と定めた。
そして、自ら、東京の西に広がる多摩丘陵を散策し、気に
入った林を見つけると、地主と交渉し、そっくり買い上げ、
その木々が元在った通りに移植することを部下に命じた。

つまり、まず、木と木のそれぞれの位置を測量し、元あった
通りの配置で、千代田生命の玄関前に移植させたのだ。
植木職人や造園家の恣意がはいらない、自然のままの森を
現出させたのだ。

千代田生命を訪れ、帰る人は、建物の中から玄関に向かうと、
玄関部分が長四角の額縁のようになっていて、あたかも
「武蔵野の森」の絵画を見るような清清しい気分になるのだ。

ついでに、玄関前の長い庇(ひさし)を支える数本の柱だが、
これまた「木」のように、裾はカーブを描き、上が先細りの
ステンレスの円柱で、それぞれ太さが違う。つまり金属の
ポールだが、林のように配置されているのだ。

1本1本手作りで、当時の技術では、先細りの円筒を
造るのは大変な苦労をしたそうだ。

この数本の円柱の配置もまた 逸話がある。弟子たちはど
うしても幾何学的に配置してしまう。何度図面を描いても
村野は承服しなかった。そこで弟子たちは、図面上に
「おはじき」を投げて、散らばったところに立てることに
したら、ようやく先生の了解が得られたという。こうした
伝説的な話は数限りない。

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