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平成の虚無僧一路の日記

建築史に残る「千代田生命ビル」 

2012年02月10日 外部ブログ記事
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現「目黒区役所ビル」は、昭和41年、千代田生命が
建築家「村野藤吾」に依頼して、総工費70億円を
かけて建築したものだ。

村野藤吾は、知る人ぞ知る建築界の巨匠。代表的建築は、
箱根、新高輪、宝ヶ池の各プリンスホテル。京都、東京、
名古屋の都ホテル。日生劇場、興銀本店、千代田生命本社、
大阪、東京のそごうデパート 他、300以上。

90歳を過ぎても 宝塚市庁舎、新高輪プリンスホテル、
谷村美術館、宇部興産ビルなど10以上の設計に携わって
いることにまず驚嘆する。

私は、千代田生命の広報部在席時、多くの建築家や一般の
方が見学にこられ、その案内を務めていた。ご案内した
数は1000人近くなる。海外からも来られた。それほど
有名な建物なのである。

村野氏について語れば、一晩中でも話すだけの材料を
私は持っている。

千代田生命ビルの特長は、とても書き尽くせないが、
ひとつ、外壁を全部アルキャスト(アルミの鋳物)で
覆った建築の世界初のものなのである。

それまで、ビルの外壁はコンクリートやタイル、煉瓦、
石造りだった。村野は、繊細な外観を築くために
アルミの鋳物でパーツを造り、組み立ててはどうかと
考えた。当時、アルミメーカーをはじめ、誰もが
「無理、無理、コストもかかる」と反対したという。

その反対を押し切って、みごとに完成させた。もし
あの外壁の柱をコンクリートでやっていたら、今頃は
ヒビがはいり、雨で汚れ、無残な姿となっていたこと
だろう。昭和41年(1966)の建築が、50年、半世紀を
経て、未だに「目黒区役所」として使われているのだ。

村野藤吾と対照的なライバル丹下健三の旧都庁ビル
(有楽町駅前)や赤坂プリンスホテルが取り壊された
ことを思うと、感慨一入(ひとしお)である。

村野の建築は残ったが、「プリンス」も「そごう」も
「千代田」も「都ホテル」も「興銀」も、企業の方が
次々に倒産してしまった。感無量である。

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