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平成の虚無僧一路の日記

婦人解放運動の魁「伊藤野枝」 

2012年01月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



中日新聞夕刊、瀬戸内寂聴の連載「この道」で、
今「辻潤と野枝」のことが書かれている。

伊藤野枝(1895年− 1923年)は、福岡から上京して、
上野高等女学校に入学。英語教師だった辻潤に惚れこみ、
卒業と同時に辻潤の押しかけ女房となった。故郷には
親が決めた婚約者がおり、辻は 野枝との結婚で
女学校の教師を辞めることになった。

辻との間に二人の子を設けたが、その後、辻を捨てて
大杉栄に近づいた。大杉には妻と愛人がいたが、その
二人を押しのけて、5人の子を設けている。野枝は
世間の批判をものともせず、不倫を公言し、結婚制度を
否定した。そして「平塚らいてう」の女性文学集団
「青鞜社」を引き継ぎ、与謝野晶子・岡本かの子ら
とも親交を深め、婦人解放運動の先鋒となった。

だが、大杉栄とともに「危険思想」とみなされ、
関東大震災後の混乱の中、憲兵に連れ去られ、
拷問を受けて撲殺された。28歳だった。首謀者は
「甘粕大尉」という。

上京して わずか10年の間に、 時代を100年先取り
した激しく情熱的な生き方を貫いたことに 驚く。

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