ナビトモのメンバーズプロフィール

COSMOS さんのプロフィール

2024/05/19 ポレポレ
COSMOSさん今晩は。グーグルさんぽのNYグラウンド・ゼロの写真に拍手をありがとうございます。グラウンド・ゼロとは爆心地にことだそうです。広島や長崎もグラウンド・ゼロなのですね。

2024/05/19 トシアンドレオ
こんにちは、ニャルソック発動中に拍手ありがとうございます。さくらはビビりなので見張りには最適です(笑)

2024/05/19 まはろ
COSMOSさんアロハ♪ ユニークなプラントに拍手ありがとうございます ハワイ産の並ぶオープンマーケットで見つけたそうです 初めてなのでネットで育て方調べています サボテン花咲いたら嬉しいけれど・・?

2024/05/19 四つ葉
お寺の御縁日で新緑と風を感じながら限定茶団子と御縁日わっぱ弁当‥♪に拍手ありがとうございます。御縁日の限定茶団子の列が並んでいてなんとか購入出来ました。

ギャラリー作品一覧

1件〜10件を表示 (4472件)

    No 1
    作品名 神文返し(3景)
    説明 討ち入りの決行が正式に決まると、討ち入りに参加する旧藩士の絞り込みが始まります。
    円山会議で討ち入りが決定し、脱盟する者が続出します。
    大石は、赤穂浪士の貝賀弥左衛門と大高源吾を派遣し、先に名をつらねた連判状から切り取った血判を返してまわります。(神文返し)
    そしてそれでもどうしても討ち入りをしたいと答えたものだけを同志として認める事にしたといいます。コメント欄に続きます。
    神文返し(3景)
    作品の詳細はこちら

    No 2
    作品名 円山会議(4景)
    説明 大石内蔵助の望みは浅野大学(浅野内匠頭の弟)によるお家再興でしたが、幕府より浅野大学に対して「広島藩預かり」という処分が下ります。
    これはお家再興が事実上あり得ない事を示しています。
    大石内蔵助は急遽京都の円山にある安養寺に同志を呼び集め会議を開きます。
    これが円山会議と呼ばれています。この席で、大石は10月に江戸に下り吉良邸に討ち入る事を正式に表明したといいます。コメント欄に続きます。
    円山会議(4景)
    作品の詳細はこちら

    No 3
    作品名 江戸急進派の動き(6景)
    説明 堀部安兵衛ら急進派はこの吉良の屋敷換えを討ち入りの好機ととらえ、大石内蔵助に討ち入りを迫ります。
    討ち入りまで何度となく山科にいる大石との話し合いや江戸にいる急進派らの話し合いが行われます。
    東京に唯一残る赤穂浪士達が会合をしたという寺院が台東区谷中にあります。コメント欄に続きます。
    江戸急進派の動き(6景)
    作品の詳細はこちら

    No 4
    作品名 吉良の屋敷替え(6景)
    説明 吉良上野介は、刃傷事件で負傷した時点ではおとがめなしでしたが、一部では浅野内匠頭に対する裁定の厳しさに対する同情論から、上野介に対して厳しい見方も存在したそうです。
    上野介はこうした世評を意識して、高家肝煎の辞職願を出さねばならなかったし、傷は14、5日で治ったのにわざと重く見せかけねばならなかったといいます。コメント欄に続きます。
    吉良の屋敷替え(6景)
    作品の詳細はこちら

    No 5
    作品名 赤穂城開城(7景)
    説明 大石内蔵助は赤穂城の明け渡しを決意し、4月18日に明け渡しをされています。
    予定されていた切腹は結局行われてはいません。
    赤穂城受け取りは物々しいもので、幕府は受城目付の荒木政羽ら3名の代表を派遣し、軍勢は4550人を動員、さらに船数百隻が警戒する中赤穂城は開城されたといいます。コメント欄に続きます。
    赤穂城開城(7景)
    作品の詳細はこちら

    No 6
    作品名 藩札の処理(3景)
    説明 藩札は、江戸時代に各藩が独自に領内に発行した紙幣のことです。藩が無くなると藩札も無効となりますので領民のために引き換えをする必要があります。赤穂藩では藩札の引き換えの方針が早々に決定され、藩札の交換レートを六分、つまり額面価格の6割と定め、改易の一報が赤穂に届いた翌日から換金に応じたそうです。この比率は他の藩札処理の事例と比べて破格の高さであったといいます。コメント欄に続きます。
    藩札の処理(3景)
    作品の詳細はこちら

    No 7
    作品名 江戸急進派(8景)
    説明 すでに吉良邸討ち入りを明確にしていたのは、江戸藩邸詰めの堀部武庸(ほりべ たけつね通称堀部安兵衛〉・奥田孫太夫・高田郡兵衛の3人でした。
    3人はこの時点で、20人ほどの同志を得られたら直ちにでも討ち入りをする予定でしたが、賛同者は得られなかったといいます。
    国元での世論については情報を得られなかったため、籠城・討ち死にも視野に入れて赤穂へ向かいます。コメント欄に続きます。
    江戸急進派(8景)
    作品の詳細はこちら

    No 8
    作品名 赤穂城での議論(3景)
    説明 筆頭家老の大石内蔵助は、早駕籠で第一報が届いた時点で藩士に総登城を命じ、事件を皆に伝えたといいいます。
    そして大石を上座に据え、連日城に集まって対応を議論します。
    幕府からは城を明け渡すよう要請されていたが、赤穂藩士は内匠頭の家臣であっても幕府の家臣ではないので、幕府からの命令があったとはいえ、簡単に明け渡す事はできないのです。コメント欄に続きます。
    赤穂城での議論(3景)
    作品の詳細はこちら

    No 9
    作品名 赤穂藩改易(3景)
    説明 幕府は赤穂藩の改易を決定します。改易とは赤穂藩の領地を没収することになります。
    これにより江戸伝奏屋敷に詰めていた赤穂藩士は、内匠頭が御馳走役を外されたことを理由に退去を命じられ、浅野家上屋敷へと引き上げます。
    この時、藩士らが騒動を起こしたときに備え、武力で抑えられるよう上使に任ぜられた水野監物忠之の配下の者達に廻りを固めさせたといいます。コメント欄に続きます。
    赤穂藩改易(3景)
    作品の詳細はこちら

    No 10
    作品名 瑤泉院(ようぜんいん)(5景)
    説明 赤穂藩主浅野長矩の正室で名は阿久里(あぐり/おくり)といいます。
    長矩が江戸城殿中で吉良上野介に刃傷に及ぶと、殿中抜刀の罪により即日切腹、赤穂藩は改易となります。
    阿久里は現在の港区赤坂にある実家の三次浅野家下屋敷に引き取られます。コメント欄に続きます。
    瑤泉院(ようぜんいん)(5景)
    作品の詳細はこちら

1件〜10件を表示 (4472件)

 




ブログランキング

上部へ