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タイトル 江戸急進派(8景)
投稿者 COSMOS 投稿日 2024/05/13 07:56:57
江戸急進派(8景)
説明 すでに吉良邸討ち入りを明確にしていたのは、江戸藩邸詰めの堀部武庸(ほりべ たけつね通称堀部安兵衛〉・奥田孫太夫・高田郡兵衛の3人でした。
3人はこの時点で、20人ほどの同志を得られたら直ちにでも討ち入りをする予定でしたが、賛同者は得られなかったといいます。
国元での世論については情報を得られなかったため、籠城・討ち死にも視野に入れて赤穂へ向かいます。コメント欄に続きます。

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COSMOSさん

赤穂で大石は3人に対し、将来の御家再興を視野に入れての自重を求めます。
3人は他のものとも意見交換をしましたが、いずれも一旦の恭順をとるという大石の意見に従っていたため、3人はこの時点での討ち入りを断念したといいます。
急進派の堀堀部武庸は同じ道場の菅野六郎左衛門と親しく、甥叔父の義理を結んでいたそうです。
その菅野六郎左衛門が高田馬場で果し合いをすることになり、武庸は助太刀を買って出て、相手方3人を斬り倒したといいます。
この決闘での武庸の活躍が江戸で評判になり、これを知った赤穂浅野家家臣・堀部金丸が武庸との養子縁組を結びます。
この縁で堀部武庸は浅野家へ士官することになります。
新宿区西早稲田には高田馬場跡があり堀部安兵衛助太刀の碑もあります。
中央区八丁堀には堀部安兵衛武庸之碑があります。
これはこの地に住んでいたことから建てられたもので略歴と法名が刻まれています。

2024/05/13 07:57:12


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