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たかが一人、されど一人

お盆 祈り 

2020年08月13日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

16:30に自動でアップできるよう設定したつもりでしたが、失敗してしまいました。現在20:45分ですが改めて手動でアップしました。 我が家の両隣は少し前から玄関脇の自家用車が消え、窓のシャッターも降りたまま、多分家族で別荘にでも行かれたのだろう。街なかも閑散として如何にもお盆らしい風景だ。お盆の墓参り帰省はしないし、仏壇は小さいのでキュウリやナスで馬や牛を作って飾り仏を迎える準備もしない。せめて子供時代「この3日間くらいは殺生しないために川に魚を取りに行ってはいけません。」と言われたので、代わりに生魚を食うのを止めようかなんて考えたりする程度のことだ。現在の日本で仏教を自分の信じる宗教と考える人の割合が如何ほどか分からないが、寺の数だけは相当ある筈。我が家は一応曹洞宗ということになっている。曹洞宗にも福井の永平寺系と鎌倉の総持寺系があり、墓は前者で亡き妻の戒名は後者から授かっている。考えてみると仏教なる宗教は不思議な宗教だ。宗教上の戒律といったものは先に書いた「殺生はいけません」程度の話で、イスラム教やチベットに伝わるラマ教のように箸の上げ下げを規定するようなものは皆無だ。教祖も極めて曖昧で、お釈迦様であったり大日如来であったりして、どちらが偉いかも判然としない。宗教は一般的に教祖様の教えを教義として尊重するとしたものだが、お釈迦様の教を伝える文書(お経)をまともに読んだことがある人が果たしてどれほどいるのかよく分からない。一般的に知られているのは般若心経だが、これは漢字訳で高々500字ちょっと。もしこれが仏教義の普及版だとすれば分かりやすいことこの上ない。全国に寺は8万近くあるらしく僧侶の数も37万人という説があるが、これが一般信者から見れば指導者即ち教師ということになるらしい。法事なんかで僧侶から法話を拝聴する機会もあるが、これもごくたまさかの事で仏教徒が自身が属する寺に通う義務も無いし、信徒同士が一斉に集うなんてことは殆ど無いだろう。お盆という行事は宗教的に大事な儀式かもしれぬが、墓参りはしても本堂に祀られている御本尊様に手を合わせる人は少ない。考えれば考えるほど仏教は不思議な宗教だ。僧侶が信徒に祈りを強要するのも稀でありながら、寺に行ったり墓に行くと人々は自然に手を合わせて何かを祈っている。

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