メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

たかが一人、されど一人

思い出と交錯 

2020年03月20日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

一昨日友人の父上が亡くなられた。昨日知らせを受けて式次第を尋ねると、火葬場の都合などがあって通夜が24日、葬儀25日とのこと。場所は神奈川県横浜市戸塚斎場。知らせてくれた友人ともう一人を代表して、葬儀参列を決心。決心とは少し大げさだが、父危篤の知らせで実家に帰る前の友人から、新型肺炎の可能性大と聞いていたからである。故人は小生と同じ年齢、昨年7月に舌癌の手術を受け、秋以降は自宅療養中であったこと。母上との二人暮らしで、先月から急に肺炎のような症状が出たのでウィルス検査を希望したが、渡航歴も無いので叶わなかったことなどを聞いていたからだ。取り込み中の友人からは詳しく聞いてはいないが、死因は舌癌と言うことだろう。全国に同様の事例は枚挙に暇無いことだろう。通夜だとお斎を勧められる可能性も高いが、葬儀であればご焼香だけで失礼できる。それでも葬式となれば友人の家族には近寄ってご挨拶するのが日本の常識。ハグの必要がないので未だマシだが、臆病なので決心と書かせてもらった次第。話が飛ぶ。葬儀に備え、香典も自分の分だけであれば金釘流で書くが、人様の分を下手な字で書くのは心苦しい。昨日、のし袋を売っている鳩居堂と伊東屋に架電して筆耕を頼めるか問い合わせをした。鳩居堂は有料で受けることは可能だが25日の葬儀には間に合わないとのこと。伊東屋は店員が書くのであればお引き受けしますとのこと。仕方なく三越本店に問い合わせると、少しお待ち願うかもしれませんがお引き受けします、とのことでホッとした。そこで昼食後に本当に久し振りに日本橋の三越本店に出向き、のし袋を購入。筆耕を依頼したら半時間で用意してくれるとのこと。その暇に1階まで降り、改めて中央に展示されている天女(まごころ)像をじっくり鑑賞することができた。この像に関しての思い出は深い。大学入学して最初の夏休のこと。父に禁じられていたアルバイトを初めてしたのが、他ならぬ三越本店の酒売り場。当時は酒売り場が1階奥に設営されていた。そして2年生の夏、2度めの勤めの時にはこの天女像の設置(昭和35年4月)が完了していた。当時を思うと、酒売り場1階に置かれていたことも時代を感じさせるし、天女像を毎日見て働きながらじっくり観賞なんて全くしたことはなかった。昨日改めて30分も掛けて鑑賞すると60年という時の流をしみじみと感じた。当時テレビは出現していたが、そのコマーシャル以上の宣伝効果がこの像にはあったのだろう。宣伝文句が「まごころ}とはなんと奥ゆかしいことよ。除幕式の式典の出席者代表は武者小路実篤氏、吉田茂元総理もいるが挨拶もさせてもらえなかたようだ。作者が彫刻家佐藤玄々氏。この人の挨拶が又素晴らしい。「私が佐藤玄々です。」の一言。天女の顔は何となく浅田真央ちゃんみたいだった。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ