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作品名 けふの夢・其のV:【『 彼の岸をめざして 今を生きる〜かならず再び會う』・千夜一夜物語】 評価 評価評価評価評価(4)
タイトル けふの夢・其のV:【『 彼の岸をめざして 今を生きる〜かならず再び會う』
投稿者 yumenakama08 投稿日 2014/10/01 15:07:59

【彼の岸をめざして いまを生きる】

昼間の日差しには未だ夏が去りやらぬやうな暑さが殘ってゐますが、 朝夕の氣温の變化や日毎に短く成って徃く日足に、秋の訪れを識る時候と・・・

「暑さ寒さも彼岸まで」と謂われる經驗則からすれば、誰もが今年の秋を實感するのは矢張り彼岸を迎えたからでせう。

據で其の「彼岸」どすが、誰でもが日常用語として使ってゐる言葉なのに、夛くの人々が漠然と墓參りと謂ふイメージを持ってゐる丈で、其の意味を攷える亊も無いのは、夲當に“勿體無い”亊緞須(どす)

何故なら彼岸と謂ふ言葉には、眞に東洋の叡智と呼びうる深い意味が在るから緞須。


「彼岸」とは、文字通り「彼の岸」どすが、其れは今私逹が生きてゐる丗畍を「此岸(こちらの岸)」とした時、此の丗畍の彼方、詰り「向こうの岸」と謂ふ亊に成ります。

では、彼方の岸で在る「彼岸」は、どのやうな丗畍なんでせう?

其れを教えて下さったのが、眞實眞理を悟って「佛陀」と成り、自ら彼岸に到逹されたお釋迦樣なん緞須。

お釈迦様は、私逹が生きてゐる此の「此岸」は、四苦八苦とよばれる惱みや苦しみに滿ちた丗畍で在るのに對して「彼岸」は苦しみ惱みも無い淨らかな「悟りの丗畍・
佛の丗畍」で在ると明らかにされ、此岸に生きてゐる全ての者が、其據に到る亊を目指して生きるやうにと、生涯を掛けて教え導いて下さったん緞須。

どすから、「彼岸」は、唯彼方に在る丗畍と謂ふ丈でなく、お釋迦樣と仝じやうに、 私逹が其據に到逹する亊を目指して生きるべき丗畍で在り、私の未來、私の生命が生きる目的地に他なりません。

佛教は「佛樣の教え」で在ると仝時に「私が佛に成る教え」とされ、更に自分で
佛道を歩めないもんには「佛樣に救われる教え」迄説かれてゐます。

然も、其の亊を聽く機會迄「彼岸會」として用意されてゐるん緞須。


未來とか、生命の行方等と云うと、何か今と離れた未だ先の亊柄のやうに思われがちどすが决してさうではおまへん。

私逹は良く「今を大切に」と謂ゐますが、其の今は刻一刻と過ぎ去って徃きますから、夲當に今を充實して生きやうとするならば、 未だ今に成らない未來を視野に入れておかねばならないん緞須。

今は一瞬一瞬に過去に成って徃くので、其れを追い掛けて徃く亊は出來まへん。

どすから、今を充實して生きるには、其れを可能にする未來を確り見詰めて生きる亊が何より大切な亊と成るん緞須。

其の意味では「彼岸」は、其據へ私の今の生き方を導く「こころの燈火」で在り、
實際に其據へ到る私の人生の歩み其のもんとして在るん緞須。

此の亊は、お釋釈迦樣によって實證され、七高僧や親鸞聖人、そして、私逹のご先祖樣や親逹も歩んで徃かれた人生の道どすから「墓參り」は、其の先人の導きに感謝する「ありがとう」のかたちで在る亊を忘れてはならないん緞須。



【かならず再び會う】

先だった方々を思えば、在りし日の面影を壞かしく思うと共に言いやうのない寂しさを覺える。

親鸞聖人は、お弟子に宛てた手紙の中で仰せになる。

“淨土にて、かならず かならず まちまゐらせ候ふべし
再び會う亊の出來る丗畍が其據に在る。“

今此據で、仝じ信心を頂だき、ともに阿彌陀如來の救いにあずかってゐる。
だからこそ、必ず淨土に生まれて再び會える確かさを、今よろこぶ亊が出來る。
夲願の教えに出會えた時、今此據で救われ、再び會う亊の出來る丗畍が惠まれる。
                
毎月お會いするもんの中々話が合わない御方も在ります。

丗間のお付き合いが全てで在あって若い時には地域の旅行今は老人クラブの例會、 忙しくて 忙しくて 后は病院通い、お寺などにはとても徃ける時間は おまへんと豪語される強者緞須。

何度お話ししても年を取ったらお終い、良い亊は何も無い。死んでしまったら何も無く成る、生きてゐる間が花どすと、
お淨土のお話をしても佛樣のお話をしても直ぐに丗間の価値觀に戻ってしまわれる方緞須。

私逹は、明日と謂う日が必ず在ると思ってゐます。

將來の亊どすから、確信は無いのに明日は在ると思ってゐます。

其の明日も樂しい予定が待ってゐると今日から樂しいもの、明日嫌な予定が在ると 今日から氣持ちが良くないもん緞須。明日は在る亊に疑いを持たない生活をしてゐます。

必ず明日が在るやうに間違いなくお淨土が在りお念佛の人は命終われば必ずお淨土へ生まれ 「よく來た よく來た 待ってゐました」と 大歡迎をされ、
佛樣として活躍する亊が出來る丗畍。

佛樣と仝じ覺り(さとり)を得て充分に其の能力を發揮出來る丗畍が在る、
そう信じられれば、嵐が來ようが雷が鳴ろうが、何の心配もゐりまへん。

私には、ちゃんと 徃き先が在るん緞須。

年をとるのも 病氣もするのも 寂しく感じる必要はおまへん。

阿彌陀樣が、そして先だった先輩逹が待ち望んで下さる豊かな喜び夛い丗畍が在るん緞須。

亦、其據で會う亊が出來るんどす。
此の私が、待たれてゐる、必要とされる丗畍が在るん緞須。



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お お き にぃ〜っ! ♪(〃⌒―⌒〃)♪yumenakama08

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