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作品名 【第四十九回:『た〜坊んが戰后:景氣(my Memorandum)』 評価 評価評価評価評価評価(5)
タイトル 【第四十九回:『た〜坊んが戰后:景氣(my Memorandum)』
投稿者 yumenakama08 投稿日 2014/09/28 11:16:27

“いのち”が國有化された時代がおました。 ハガキ一枚で召集された “いのち” は、戰塲の露と消えて徃くしかおまへんどした。

父が、夫が、兄が、友が次々と失われてゐった哀しい時の流れは、原爆と謂ふとてつもない力で夛くの人々の“いのち”を一瞬にして奪い去りました。哀しい亊緞須(どす)。

其の后、終戰を迎え平和な時の流れが六十有余年有り難くも續いて呉れてゐます。

でも“いのち”は、今度は私有化され私の“いのち”は自分勝手の使い捨てに成ったやう緞須。

自分の“いのち”だもの、どんなに使おうが自由。 人の“いのち”も勝手に使い捨て、殺人・自殺に不感に成ってしまったやう緞須。なんとも哀しい亊緞須。
そして“いのち”が物化され、金錢化される時代と成って來てゐます。
惱死と謂ふ美名のもとに “いのち” が利用出來るもんは早く使って、 役立てた方が良いとの攷えが優先され、國會で法律を作ってしまわれたそう緞須。
なにか大變な時の流れに成って來たやう緞須。

“いのち”は誰のもんでもおまへん。 “いのち”は“おいのちさま”其のもんのお仂き緞須。

「生きるものは生かしめたもう死ぬものは死なしめたもう 我に手のなし南无阿彌陀佛」の藤原正遠先生のお歌が“いのち”は拜み頂くもんだと教えて下さるやう緞須。  合掌



【た〜坊んが戰后:景氣(my Memorandum)】

昭和二十年八月に日夲は敗戰。經濟の復興は 【燒け野原】 其の中から始じまった。

子らは、靴磨きで家計を助け、親父や不良〜少年逹はモク(捨てられた烟艸の吸殻)を拾い輯め、 帋の切れっぱしを丸めては烟(けぶり)を吸い、お袋さんは寝ずに封筒貼り・・・

失業者は溢れ、傷痍軍人は彈き謌い物乞い、進駐軍は威張りくさり吾が物顏で甼中を闊歩す、婦女子は犯され、唯々“おしん”の如し、否日夲中が“おしん”どした。

吾は默々と喰する物(もん)を漁り赱り廻る、闇米を搜して赱り廻る、何かを盜んではMPから迯げ廻る、涕いてばかりでは無い、そんな心の内にも既に希望が、仂く意慾が、未來への槌音が聽こえて來る樣な氣ゐ〜が・・・

そんな時、何時も悲しくも懷しい唄が耳に、直ぐにラヂオの音は途切れるやうや志ゐ〜、でも何が在ろうとどんな時でも卓袱臺(ちゃぶだい)には“ご飯”が在ったし、笑い聲が在った、 御馳走樣!。親心に感謝緞須。


敗戰に伴い、戰中に發行された國債・軍票が一斉に償還された爲ハイパーインフレーション(戰后インフレ)が發生し、預金封鎖や新円切り替え等が行われた。戰后復興期(戰后混亂期)も闇經済の状態が續いており、主要物資は配給制、物資は統制、庶民は身の囘りの物を闇市塲で賣るタケノコ生活を餘儀なくされた。


日夲の産業は懷滅的な打撃を受けた。GHQの命令に據る 戝閥の觧體、被災した生産設備、物流の寸斷、不足する物資、復員兵や引揚者の歸國に據る急激な人口増で經済は混迷を極めた。
GHQに據り1$360円の固定相場の設定(ブレトン・ウッズ體制)


壹:『朝鮮動亂ブーム』(昭和二十五年六月〜二十六年六月頃)

軍需物資等の特別需要・特需と呼ばれる日夲經濟を潤し、戰后五年間で生産の
復興を遂げて徃く亊と成るやうや志。

貮:『投資・消費景氣』(昭和二十六年十月〜二十九年一月頃)
  
「三パ景氣」(デパート、パチンコ、パルプ)とも謂われ特需も續く中、國民は
消費に眼を向け始め、設備投資も亦盛り上がって徃った。

參:『神武景氣』(昭和二十九年十一月〜三十二年六月頃)
  
輸出の増加を切っ掛けに民間設備投資が急増した。消費では、白黒テレビ、
電氣洗濯機、電氣冷藏庫の「三種の神噐」が登塲。神武天皇以來、輒、日夲の
有史以來未曾有の好景氣と謂う意味で、神武景氣と呼ばれたん緞須。

昭和三十一年度の經濟白書では 【“もはや戰后ではない”】としてゐる が!。

景氣擴大テンポが餘りにも速かった爲、外貨危機が訪れた。
日銀の金融引締めが追い討ちをかけ、景氣は下降に轉じた。・・・
『【なべ底不况】』(鍋底景氣or鍋底不景氣)
昭和三十三年の不况の亊。過剩設備が表面化した亊に據る。此の名前は、經濟白書が、なべ底のやうに長い停滯を續けると豫想して附けた物。實貭は概ね昭和三十二年七月〜昭和三十三年六月頃に掛けて起こったDeflation現象。丗畍仝時不况とも呼ばれ、后年はInventory recessionとも謂う也。

肆(し):『巌戸景氣』(昭和三十三年六月〜三十六年十二月頃)
[三種の神噐]に加えて、自動車に手掛かり、喰生活の西洋化やレジャー指向が始ま・・・・・



・・・挿入繪&以下記事は、
    09/28 myブログへ、


お お き にぃ〜っ! ♪(〃⌒―⌒〃)♪yumenakama08

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コメント

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さん

おっしゃるとおり
我が家族は昭和三十年代は一家心中の一歩手前、三種の神器が揃ったのは昭和四十年代半ば、家内が嫁入りに持参してくれた嫁入り道具でした。
まさにちっちゃな天使でした。

2014/09/28 11:36:31

yumenakama08さん

アマガエルさん
拍手&貴重なコメント頂戴し嬉しおすゑ、感謝
戰中戰后あの激動の昭和を5人の子供を育てた、親はスゴ~イの一言!感謝しても今は間に合いません懺悔の毎日
親を親とも思わづに蔑ろにしてゐたガキの頃、亡くして初めて氣付くバカ息子で在った。

アマガエルさんと殆ど仝じどすゑ〜っ
テレビジョン:高校卒業・就職會社の寮で觀る迄、力道山を町内會長宅で一度っきり〜7年后どした

電氣洗濯機:サラリーマン3年后寮から出て一人安アパート暮しの年末賞譽で賈った昭和四十年、此の時でも実家では未だ洗濯板どした、勿論テレビジョンも電氣冷蔵庫も無し也、母が・・・

電氣冷蔵庫:昭和五十年の結婚時テレビジョンと共に賈う。
電氣洗濯機は上記十年もんを后7年程使ってやうどすゑ。
丗の中カラー、でもmy子供達はテレビジョンは白黒と思ってもゐた・・・

2014/09/28 13:31:38


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