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作品名 アカンタレの話(36) 評価 評価(1)
タイトル アカンタレの話(36)
投稿者 比呂よし 投稿日 2014/01/31 10:43:03

+++小二の女の子が使うには、きまりが悪かったの
だろうか。公立とは言え、何せ二宮金次郎の銅像があ
った名門の小学校だったものなーーー。「おらが」は
そぐわないのだろう。

36.恐怖の克服

 私が歩いてきた山道は、登り口から二キロ位のもの
であった。昔私が「帰るよーーー」と彼女と別れた地
点は、その七割位の処である。

 いずれにしても、大人の足では大した距離ではな
い。けれども、人っ子一人通らない昼なお薄暗い山
道を、小二の女の子は当時どんな心持ちで学校へ往復
したろう? 林の奥から突然響いた大きな鳥の羽ばた
きに身がすくんだことはなかったか? 様々な事故も
想定されるから、今の時代感覚では想像がつかない。
 昔同じ山道で、私が恐怖に囚われて逃げ帰ったの
は、むしろ当たり前である。怖がらない方が、普通の
感覚ではないのだ。

 小学校へ入学した一年生の時、女の子へは慣れるま
で親が麓まで同道したのだろう。帰りは登山口で待ち
合わせて一緒に帰ったろうか? 携帯電話のある時代
ではないから、時間をどう調整したのか? 

 やがて何時か独りにさせられた時、彼女は抵抗して
学校へ行くのを嫌がったかも知れない。昨今の登校拒
否とは質が違う。深い山と孤独な山道に対する、恐ら
く誰でも人が感じる本能的な恐怖だ。親は子供にどう
言い聞かせたろうか? 恐怖心を克服するだけでも、
子供には一大事業であったに違いない。

 そんな怖さを、やがて自分なりに克服した時、彼女
はもう子供ではなくなったのかも知れない。当時私は
小ニに過ぎなかったが、彼女は何処かで大人になって
いたのだ。

 学校の教室で静かに一人片隅に居て、外見が最も温
和しく見えた。けれども、あれは温和しい性格の為だ
ったよりも、私を含めたクラスの同級生全員が、彼女
の目にまるで年下の幼児に見えたからではなかった
か? 級友の苦労の無い無邪気な幼さを眺めて、どう
接すれば良いか戸惑っていたのかも知れない。

 私は苦いコーヒーを口に運びながら、幼くも強く健
気だった彼女へ、改めて心の中で深い好意を捧げた。

(つづく)

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