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タイトル 高野長英(たかの ちょうえい)(11景)
投稿者 COSMOS 投稿日 2024/12/06 07:53:25
高野長英(たかの ちょうえい)(11景)
説明 高野長英は文化元年(1804〉岩手県奥州市生まれの江戸時代後期の医者・蘭学者です。
養父の玄斎は江戸で杉田玄白に蘭法医術を学んだことから家には蘭書が多く、長英も幼いころから新しい学問に強い関心を持つようになったとか。
父の反対を押し切り出府して、長崎に留学してシーボルトの鳴滝塾で医学・蘭学を学びます。コメント欄に続きます。

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コメント

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COSMOSさん

しかし、シーボルト事件が起き、主だった弟子も捕らえられて厳しい詮議を受けましたが、高野長英はこのとき巧みに逃れているそうです。
現在の港区南青山に潜伏していたところを何者かに密告されます。
捕方に踏み込まれて捕縛されます。
何人もの捕方に十手で殴打され、縄をかけられた時には既に半死半生だったため、やむを得ず駕籠で護送する最中に絶命したといいます。
長英の死体は塩漬けにされ逃走を幇助した者9名と共に判決が下され、高野長英の死体は小塚原刑場で打首獄門となり、その後死体は捨てられたそうです。

港区南青山には高野長英隠れ家跡があります。
また港区北青山の善光寺には高野長英碑があり勝海舟の撰文による顕彰碑です。
千代田区平河町には高野長英大観堂学塾跡があります。

シーボルト事件が発生後江戸へ帰り麹町に町医者として蘭学塾を開きます。
それが「大観堂学塾」です。

2024/12/06 07:53:40


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