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タイトル 太田道灌(おおた どうかん)B-A(14景)
投稿者 COSMOS 投稿日 2024/08/08 07:55:09
太田道灌(おおた どうかん)B-A(14景)
説明 中野区松が丘には「史蹟江古田原、沼袋古戦場碑」があります。
文明九年(1477)太田道灌と豊島泰経らが激戦をしたところです。
ここでの合戦は、武蔵野の開発を行って来た豊島氏にかわって、太田氏が武蔵野支配を確立するようになります。
中野区沼袋の沼袋氷川神社には道灌杉の切り株跡があります。コメント欄に続きます。

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COSMOSさん

江古田原・沼袋合戦の際、道灌によって戦勝を祈願して植えられたのが、この道灌杉であると伝えられていますが枯れてしまいました。
その豊島氏の石神井城が練馬区にあります。
太田道灌によって攻め落とされ、犠牲になった豊島氏とその姫の「殿塚」「姫塚(照姫)」があります。
練馬区では毎年「照姫まつり」が行われています。
文京区本郷には「別れの橋跡・見送り坂と見返り坂」があります。
太田道灌が治めていた頃罪を犯して江戸を追放された者が、この別れの橋で放たれ、親類縁者が涙で見送ったから見送り坂。追放された人がふりかえりながら去ったから見返り坂といわれたそうです。
皇居の中で武蔵野のおもかげを残す都心唯一の場所に道灌壕があります。
雑木林と野草のおい茂るところとなっていて皇居の中でもここが一番美しい所と言われています。
この壕は彼の遺構であると考えられています。

2024/08/08 07:55:30


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