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タイトル 奥の細道 矢立て初めの地【蔵出し】(4景)
投稿者 COSMOS 投稿日 2021/09/23 07:51:04
奥の細道 矢立て初めの地【蔵出し】(4景)
説明 荒川区南千住の南千住駅前にある松尾芭蕉の「奥の細道 矢立て初めの地」は元禄2年(1689)3月27日、松尾芭蕉は、ここ千住の地から奥の細道の旅へと出立したそうです。
この像は、矢立初めの句を詠む芭蕉の姿を表現したものです。
「奥の細道 矢立て初めの地」は隣の足立区もうちが本家だと言っているそうですが、近くにある隅田川(千住大橋)から出発したのは間違いないようです。

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コメント

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Kanzeさん

いつものご投稿を楽しく拝見致して居ります。 有難うございます。

芭蕉は希に見る健脚だった様に思われますが、因みに終着地は、岐阜県大垣市だったようで、同市には芭蕉記念館(正式な名称は失念しました)

2021/09/23 09:34:21

さえかさん

「行く春や鳥啼き魚の目は涙」ですね。
しみじみと、お写真拝見しております。

2021/09/23 11:51:09

COSMOSさん

Kanzeさんへ
終着地とは亡くなった所でしょうか。いろいろな説があるようですが最後の句は「旅に病んで夢は枯野をかけ廻る」だったそうですね。

2021/09/23 18:05:36

COSMOSさん

さえかさんへ
この句は奥の細道の旅立ちにさいして、見送りの人々に対し詠んだ句だそうです、いつの世も別れは淋しいものですが別れた後の再開は倍の喜びがありますね。

2021/09/23 18:10:02

Kanzeさん

芭蕉の「終着地」とお書きしましたのは、旅としての終着地が大垣市にて、記念館も存在する・・・と言ったものですね。

その後、門下生の不和?を正すことで、大阪(大坂)へと脚を運んだようです。
御堂筋の南御堂の敷地内には没した?碑があり、3年前に確認しております。

この種の事柄などにつきましては、やや苦手な面もありまして、次のサイトをご賢察頂ければ幸甚であります。 宜しくお願い致します。


https://www.ogakikanko.jp/spot/kinenkan/

http://www.basho-ogaki.jp/hosomiti/ogaki/index.html

https://osaka-chushin.jp/spot/35754

2021/09/24 08:57:50


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