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タイトル 樫野崎灯台前の荒波
投稿者 Kanze 投稿日 2019/09/16 14:16:18
樫野崎灯台前の荒波
説明 M23年6月、トルコ皇帝特派使節として来日した、オスマン・パシャ以下650余名の将兵を乗せた軍艦エルトゥールル号が、我が国との修交の使命を果たして帰国の途中、9/16日夜、写真の岩礁にて難破、587名の将兵が殉職、生存者は69名。

村人は3人1組にて急坂を登り、救助。
乏しい食料を工夫しての支援を果たしたのです。

台風時の波の状況をご想像ください。

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コメント

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Kanzeさん

その悲劇を機に犠牲者の慰霊を通じて串本町とトルコ国との交流が始まり、トルコの2市町との姉妹都市提携へと正式調印を交わした。

樫野崎(かしのざき)灯台(我が国最初の石の燈台)に隣接して、日本・トルコの親善の契りを深め、国際的な友愛の精神を広く伝える事を目的にトルコ記念館と慰霊碑が建設されています。 共に、紀伊大島・島内。

トルコ側は、イラン・イラク戦争の際には、邦人救助のために自国の航空機にて我が国民の輸送を惜しみなく実行、礼節を尽くしてくれました。

2019/09/16 14:18:04

ひげじいいさん

我々、船乗り社会でも昔からトルコの船員さんとは他港であっても意気投合して飲んだりします。
この事件のことはトルコの教科書には載っているそうです。

2019/09/17 00:59:44

Kanzeさん

ひげじいいさんへ

コメントを有難うございます。

当時、日本側は台風接近のため出港(帰国)を見合わせるように進言したのですが、「先を急ぐので...」と帰国の途に着き、熊野灘(ご説明の処)での海難事故が発生するに至ったのですね。

現在も5年おき?に慰霊祭を実施しているようです。

YouTubeにも関連動画が載っています。

世界的にも海上での相互扶助?の精神が暗黙の了解事項として生きているようですね。
旧日本海軍にもその辺りが端々に見られる...と聞き及んでいます。

2019/09/17 04:31:59


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