ナビトモのメンバーズギャラリー

条件で調べる

カテゴリ選択
ジャンル選択

前の画像

次の画像

ギャラリー詳細

タイトル 磨墨塚(3景)
投稿者 COSMOS 投稿日 2019/02/14 08:08:21
磨墨塚(3景)
説明 大田区南馬込にある磨墨(するすみ)塚です。
磨墨とは源頼朝の家臣であった梶原景季が源平合戦で有名な宇治川の合戦で、佐々木高綱の乗った「池月」と先陣を争った名馬です。
その景季の愛馬「磨墨」をこの場所に埋めたとの言い伝えがあり、明治33年に馬込村の有志によりこの石碑が建立されたそうです。
近くの萬福寺には「磨墨」の像がありました。

前の画像

次の画像



【COSMOS さんの作品一覧はこちら】

最近の拍手
全ての拍手
2019/02/16
ポレポレ
2019/02/15
レフア
2019/02/15
あおちゃん
2019/02/15
漫歩
2019/02/15
まはろ
拍手数

60

コメント数

4


コメント

コメントをするにはログインが必要です

山すみれさん

磨墨とゐふ馬の塚馬込み村の有志等の
粋の残れる

それにしても、

池月 馬の名って

粋な名前ですね 墨を磨る^^。

今でいえば、車以上ですからね・・・・

2019/02/14 10:17:31

COSMOSさん

山すみれさんへ
昔武士は馬を大変大事にしたそうですね。「一筆啓上火の用心おせん泣かすな馬肥やせ」という手紙があるくらいですから。
時代によって馬の名前にも流行があったのかもしれませんね。

2019/02/14 18:03:35

夢人さん

さっそうと登場した馬なんですが、鎌倉時代の馬は現代のポニークラスだったと言われております。
現代のサラブレットのような背が高くてスマートな馬は18世紀から19世紀に
イギリスで発祥したそうで、鎌倉時代には居なかったということでした。
これも歴史を紐解くと面白いですよね^^

2019/02/14 23:08:49

COSMOSさん

夢人さんへ
戦国時代の武田騎馬隊も小さな馬だったそうですね。
映画などではかっこくよく映っていますけど実際は滑稽な風景だったかもしれませんが当時の日本人の平均身長は今とは違い低かったそうですがら釣り合いが取れていたかもしれませんね。

2019/02/15 07:59:55


同ジャンルの他の作品

PR





上部へ