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2011年12月30日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

津波で夫の実家が流失 


何しろ「貞山堀」すぐ近くだったから津波はまともだったようで、私がそこに初めて見たのは随分後だった(2週間後位か)


兎に角車で行くには途中で止められて行けない 


たまたま高校時代の友達が、空き家の方を貸して欲しいと泣きながらやって来て、被災した家に物を取りに行きたいと言い乗せて行ったが(一階部分が水に浸かったが一応形は残っていた)、その時は「位牌を取りに行く」って言ったから通された 


ついでに「行ってみるか・・」って言われて恐る恐る行ったが、勿論近くまでは瓦礫の山で行けなかったが・・


100戸位の集落だったが遠くからは1軒だけ家の形が見えるが、近くに行くとかろうじて形が残っている程度 


私が初めて家の跡まで行った時は、すでにかなり瓦礫が取り払われて家の前まで車が入れる時で、土台も半分は無く玄関のタイルを見て「ここが・・」って分かった 


義弟とは何とか11日の夜に携帯がつながって、中学校に避難していると言うことだけで一応元気でいると言うことしか分からなかった 


家の近くまで行った日は初めてお墓にも回ったが、我が家の菩提寺は竿石が倒れたり、周りの石垣が崩れ落ちたりしていた程度だったが、夫の実家のお墓はどこのお宅も同じながら、石がすべて流されて「骨堂」の中にお骨さえなかった 


実は昨年の8月義母は91歳で亡くなったが、その時は本当に悔やんだけれど震災後は、辛い思いをしないで済んで良かったと思う 


お墓があったところも「強制避難区域」に入っているから、二度と家を建てることができないばかりか、きっと墓地も移転になるのかも 


近くには親戚のお宅も多かったから、皆さん仮設住宅か借り上げ住宅での生活ですが、確か同級生一人も含まれているが犠牲者は26人と聞いた 


義弟は勤め先も被災だったが、義妹が避難出来たのも「奇跡」に等しかったのかも・・・





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