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2011年12月30日 外部ブログ記事
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震災で地元の同級生3人が犠牲に・・・


最初に義弟たちがいた避難所に行った時、一番にあったのが夫の実家近くの同級生で何も無くなって、「この身体一つになった」って言われた 


私は「この身体だけ」でもあれば、何とかなるよって言ったのが被災者との最初の会話だった 


夫の実家のお隣のばあちゃんとはいつも義母が、「お茶のみ」していて留守の時はお隣を覗いた 


義妹の会話もそこそこに「おばさん良く逃げられたね」って言ったら、義妹が一緒に車に乗せて避難したらしかった。


その時お隣に住む同級生の安否を尋ねたら、「午前中に車で出かけた・・」と聞いたから、子供さんのところにでも避難しているものと思ったが、早々に「宮城県警」のHPの犠牲者のところに名前を見つけた 


昨年義母が亡くなった時は色々お世話になったし、同級生で一番お会いすることが多かったと思う 


その後お一人の女の方がやはり犠牲になって、同じように県警のPで名前を見つけた。 


実際あの頃は毎日朝一番に県警のHPの、「犠牲者」の名前を血眼で見ていたと思う 


それがたまたま津波で追い寄せられた稲わらを、空き家の前の道路で片づけをしていたら、「ここまで津波が来たんですね」って声を掛けられ、「避難所ですか?」って尋ねたらやはり中学校の武道館でだったから「同級生では○○さんが・・」と言ったら、それじゃ義姉も同級生ですねって仰られ「どなたでしょうか・・?」ってお聞きしたら、名取川を挟んで夫の実家の向かい側に住んでいて「犠牲になった」とお聞きした 


その後海に近い同級生など落ち着いてから電話連絡をしたが、今のところは他に確認はしていない 


しかし夫の実家の向かい側に住所があった方が、お一人いるが同級会などにも出ていらっしゃっていなかったから、確認はできていない 


犠牲にはならなかったものの家を失くした人などは、勿論多く仮設住宅暮らしの方も多い 


高校の時の友達も連絡がついている限り、今のところ犠牲者は確認していないが・・・ 




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