メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

平成の虚無僧一路の日記

親鸞会、ひろさちや批判 

2011年10月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「親鸞会」を“知んらんかい”? 浄土真宗の本願寺派の
寺々が、金々々の「葬式仏教」に堕していると批判し、
「親鸞」の教えをきちんと流布しようとする、生真面目な
団体だ。学生や若い人がはまっている。

一方の「ひろさちや」は、僧侶ではなく「仏教評論家」。
自身は「禅宗」の方に軸足を置いている。

親鸞会は「親鸞聖人の教えを通して“生きる意味”を
真剣に学ぼうとしているのに、「ひろさちや」は
「生きていることに、存在価値がある。生きる意味とか
生き甲斐などというのは、世間が勝手に定義したもので
あって、そんな価値観に しばられず、自分の好きな
ように生きればいい」という。


「なんのために生まれて、なにをして生きるのか、
こたえられないなんて、そんなのはいやだ」とは、
子供でも知っている『アンパンマンのマーチ』。

親鸞会は「生きる目的は、金でもなければ財でもない。
名誉でもなければ地位でもない。人生苦悩の根元を断ち
切り、『よくぞ人間に生まれたものぞ』と生命の歓喜を
得て、未来永遠の幸福に生きること。それが親鸞聖人の
教えである」と。

う〜ム、よく解らん。釈迦も親鸞も「来世のことより、
現実社会にどう生きるか」を説いたと思うのだが、
「来世に極楽浄土に迎えられるために、今を清く正しく
真剣に生きる」というのは、私には理解できない。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ