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平成の虚無僧一路の日記

乞食坊主に用はない? 

2011年10月24日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



『一休咄』

「一休が、さるお大尽の家に法事で呼ばれた時、
はじめ、汚れた雲水の格好で行ったら、「おまえの
ような乞食坊主の来るところではない」と追い返
された。次ぎに、正装して 金襴の袈裟を付けて
行ったら、「これはこれは一休殿、お待ち申して
おりました。さ、どうぞ奥へ」と。
そこで一休「わしは、先ほど墨染めの衣で来たら、
『乞食坊主』と追い返された。今、金襴の袈裟を
つけて来てみれば、『ささ どうぞ』と。しからば
私を呼んだのではなく、この袈裟衣に用があった
のでござろう」と、袈裟衣を脱いで 置いて帰って
しまった。

という話『一休年譜』には無い。似た話は『年譜』
では次ぎのようになっている。

応永29年(1422)、一休29歳。先代の言外和尚の
33回忌の法要が大徳寺で行われた時、各僧侶は
きらびやかな衣に金襴の袈裟を付け着飾る中、
一休ひとり、わざと、墨染めの衣にボロ布を
縫い合わせた袈裟をつけ、草履という格好で
参列した。

師の華叟が「どうしてそんな格好をしている」
と聞くと、一休は「みなさんの引き立て役です」
と答えた。華叟は「わしの跡を継ぐのは、風狂
だが、一休だ」と応えた。

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ニュアンスは違うが、『年譜』のこうした記事から
上記の「一休咄」を創った戯作者に感心する。

ところで「一休咄」は、一休の“いたずら心”で
終わってしまうのだが、この話は、二つの受け止め
方がある。

一つは「人は着ているもの、見た目で判断しては
いけない」ということ。

も一つは「見た目で判断されるのだから、TPOに
応じた服装をすべきではないか」という反目心も
湧き起こる。「正反」含む話だ。これが、一休の
(普化禅)の「明暗双打」の真骨頂ではないか?。

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