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平成の虚無僧一路の日記

一休「婆子焼庵」の公案を解く 

2011年10月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「一休」を語るのは“何回”だ?。いや“難解”だ。

一筋縄にはいかない。どう説明しても、一休は“違う
ちがう”と否定してくる。

一休について書いた書物は多いが、すべて、江戸時代に
書かれた「コミック誌」に影響されている。一休を解く
には『狂雲集』しかない。その裏を読まねばならないの
だが、それが見えないから“苦難”する。

『狂雲集』は、ただ彼が作りためた「漢詩」を綴った
ものではない。一休が「生涯、寺も職位も求めない
一介の乞食(托鉢)僧で終わることを志していながら、
最晩年に、意に反して?大徳寺の住持に就任したこと」
の真意を秘めた、壮大な自伝なのだ。

「一休の禅」は「婆子焼庵(ばすしょうあん)」の公案に
込められていると私は見ている。

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●「婆子焼庵」の公案とは

ある老婆が、一人の修行僧のために草庵を建て、
衣食住の一切を世話をして20年が過ぎた。
そこで「そろそろ いいか」と、娘を世話する
ことにした。すると 修行僧は「枯れた木が
寒い岩に立つように、私の心は燃えない」と
言って、娘の誘いをはねのけた。

娘からその報告を聞いた老婆は「20年も世話
してきて、まだ こんな生臭さか!」と怒り、
修行僧を追い出し、庵も焼き払ってしまった。

さて「婆さんの真意はいかに」というもの。

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臨済禅では、誰もが解かなければならない有名な
「公案」だそうだ。

これについて、一休は 詩を作って答えている。

   老婆心 賊の為に梯(かけはし)を過して、
  清浄の沙門に女妻を与う。
  今夜美人、若(も)し我を約せば、
  枯楊 春老いて、更に稗(新芽)を生ぜしめん。


「老婆」は、「世話焼き ばあさん」「老婆心」の
ことをいう。

つまり、一休は「婆さんは、泥棒に梯子を貸して
やるように、清浄な修行僧に女を与えようとした。
その老婆心を無碍に断るのもなんだ。娘は、青年僧に
惚れていたのかもしれない。その情をはねのければ、
乙女心を傷つける。仏道とは、ただ独り 枯れ木の
ように修行してればいいというものではない。
人の心に添い、衆生を済け導くのが僧の勤め。娘は
「甘露の仏性」であったかもしれない。「枯れた
楊(柳)の木も、陽春を受けて 新芽を生ずるか」と。

もひとつ、漢文学の世界では「美人」は、必ずしも
女性ではない。一休が しばし「美人」と書くときは、
「敬愛する大徳寺の開祖大燈国師」であったりする。

『狂雲集』のみに登場してくる「盲目の女性・森女
(しんにょ)」も、一休が恋い焦がれた“仏心”の
象徴であると、私は考えている。「婆子焼庵」の
公案を解くことは、一休の生涯の課題だったのだ。

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