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平成の虚無僧一路の日記

「天皇」とは何ぞ? 

2022年11月29日 外部ブログ記事
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11月25日、東山勝也氏が主宰する「古代史遊学会」に誘われて行ってきた。
「所詮、素人の地方史家の集まりか」と思っていたが、とんでもない。
東山氏は史学専門の大学を出たわけでもないが、その博識には驚かされた。
あらゆる文献史料、学説に精通し、その上で自説を展開されている。
諸学者先生の学説に多くの疑問を提示している。
私の関心事は「天皇」「天皇制」はいつ成立したのかという事。
そもそも「〇〇天皇(てんのう)」と、在位中でも「天皇」と呼びならわすようになったのは明治時代以降の事。
それ以前は「命(みこと)、帝(みかど)、主上(しゅじょう、おかみ)、大君(おおきみ、たいくん)」などさまざまだった。
古代では、文武天皇の701年、「大宝律令」で「天皇」の号が法制化され、それ以前
「尊、命、大王」と書いて「ミコト、スメラミコト、オオキミ」などと呼ばれていたのが
すべて「天皇」と書き改められた。
それで「日本書紀」では 神武以来すべて「〇〇天皇」と書かれている。
しかし「天皇」と書いても読みは「ミコト、スメラミコト」であった。
であるから、奈良時代以前は「天皇」ではなかったのである。
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私は慶応大学文学部史学科の二年の時、このテーマで論文を書いた。
当時の見解は「推古天皇(女帝)を支えるために聖徳太子が「天皇」という位置づけを確立したのでは」
というものだった。
東山氏の講演は、あらゆる資料を網羅している。
そのひとつ。『万葉歌』の中で
「大王(おほきみ)」が45首。「天皇」は15首。「おおきみ」20首、「すめろぎ」20首。
また、公式令では
「天子」と書いて、読みは「スメミマのミコト」
「天子」は祭祀を司る時の呼称。「天子」は天照大神の子孫。つまり神の子孫という意味づけ。
「天皇」の読みは「スメラミコト」
「スメラミコト」とは「詔(みことのり)を発する人」詔書を発する時の呼称。
「大王」は「オオキミ」。額田大王は「ぬかだのおおきみ」。天皇ではないのに「大王」と記す。
辛亥(471年か?)の年号を記す「さきたま稲荷山古墳出土の剣」には「大王」。
法隆寺薬師如来像の碑文には「敏達天皇」を「大王天皇」と。
『上宮聖徳法王帝説』では「崇峻」「推古」「用明」「敏達」「欽明」を「天皇」と。
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どうやら「天皇」は、第30代「敏達帝」の時に「天皇は天照大神以来、神の血を引く子孫によってのみ
継承されるもの。他の群臣とは違う存在」として法制化された。よって、「天皇以外の
臣下の者が天皇に就く事はありえない」という位置づけが確定されたと考えられる。
30「敏達」、31「用明」、32「崇峻」、33「推古」、34「舒明」、35「皇極」、36「孝徳」
37「斉明」、38「天智」、(39「弘文」)、40「天武」
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