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ニャンコ座リポート

声と楽譜 (9/26) 

2022年09月26日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 昨日は、日がある間は妙に暑い位でした。午後日が傾き始めてから、燃えるごみを両手に持ってごみステーション経由でウォーキングをして、畑に出でたら、蚊がプ〜ンと。
 かちゃ子さんが、みみせんのDVDを作って持ってきてくれました。 一昨日のことが引っかかっていると言うことは全く無いですが、歌うこと一つとっても、自分が何を求めてきたのかを、思わずにはいられない今日この頃です。 私はおそらく「声」を1番追究しているんじゃないかなぁ。こんなにも合唱が好きなのは、ハモる快感があるからでしょう。声がちゃんと出ていなければ、ハモリにくいと思っています。本当は、機械的な発声練習は嫌いですが、良い声を出すためには、努力は惜しみません。確かに、ジャンルによって、発声法は違いますが、基本中の基本は同じだと思っています。良い声がすべてなんて思いませんが、良い声があって初めて、したい表現ができると思っています。 その点で、外国語の曲は、誤解を恐れず言えば、詞の重さに傾き過ぎないで、純粋に声を重視できるので、好きです。語感も大事だし。ファーチレで歌う宗教曲はそこまでやりませんが、外国語の下には必ず赤ペンで、意味を書いておきます。 今回のJazz事件でわかったことは、Jazzのシンガーは、基本メロディーにコードが書き込まれた1枚物の楽譜を使うそうです。少なくとも3段楽譜は使わないそうです。私は3段楽譜じゃないと、とりあえず歌えません。合唱ならば、すべてのパートが書きこまれていないとダメです。「スタバト」は、ピアノ入れて10段。「ベニベニ」は、多分最高で18段(ソリスト・合唱団・ピアノ譜)です。もちろん全てを同時に見ることは無いですが(指揮者は見てるんでしょうか)、その時々に必要な所を見ています。 ゴスペルができない訳は、楽譜を使わないからです。聞いて覚えろと言われても、できないんです。ストレスになって、それが不満に変わって行ってしまうので、ゴスペルはやらないことにしました。かなり近いことが、Jazzにもあることになります。Jazzは楽譜そのものは否定されるわけじゃないので、自分なりの使い方ってことになります。3段楽譜には、大きな意味は無い、その通り演奏されることは無いという意味です。でもkeyはね 私は、楽譜が映像になって見えるのです。そうなるためには、相当幾度も楽譜とにらめっこで練習します。何も根拠は無いですが、音友が言った500回と、今回Nin-jinマスターが言ってくれた1年と言う数字を、大事にします。書きこみでいっぱいになった楽譜は、宝物です。 「鎌倉殿」毎回、人の命を何だと思ってるんだと、うんざりしながら、でもおいてかれたくないから見てしまいます。昨日は時政パパが切なかったです。「おんたらく〜そわか〜」でした。 宮古島の姪っ子の所にようやく物が届きました。台風に邪魔されて、なかなか送れなかったのです。Ao気に入ってくれたようで、良かったです。

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