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たかが一人、されど一人

読後感「生の短さについて」他二篇 セネカ著 大西英文訳 

2022年06月23日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 読みたくなる書物が見つからず、書店をうろついてる時、何気なく手にして購入してしまった。だいぶ前のことだ、少なくとも一ヶ月以上は経つだろう。2千年以上前に書かれた短い文章がたった三篇、難しい言葉遣いがあるわけではないが、読んでいると眠くなってしまう。むしろ読み終わってからのあとがき、訳者の解説のほうが興味深い。著者セネカは紀元前4年か5年の生まれで、父はスペインの名門騎士で、修辞学(どんな学問は知らない)に優れていた。セネカは生まれつきからだが弱く、常に病気にも苦しんでいたらしい。ともあれ、成人前に叔母に連れられローマで成長することになるが、弁論に優れ、ローマ政府内で次第に高位に取り上げられ、遂には皇帝側近にまで引き立てられるようになる。しかし高位に登ることによって彼の人生は益々悲劇的になっていく。即ち皇帝がその才能を妬んで殺されそうになったり、辛うじて死を免れても長期間の島流しにあったり、息子も死んだり、碌なことにはならなかった。挙句の果てが、嘗て家庭教師をしていた皇帝ネロの命令で自殺を強いられてしまう。本編と関係ないが、この自殺はまず血管を開き、毒人参を煽ぎ、最後に熱湯に入れられる、と念がいってる。ローマ時代のことは塩野七生さんに任せればいいのだろうが、人殺しが日常茶飯事で凄まじい時代だったようだ。本編の読後感を簡単に記す。著者が言うところは「今を大切にして、後先のことを余り考えるな」「そうして自然の営みを大切にして、欲をかかず常に道徳的に生きるべき」と説いてるが、いつの世であれ、誰も反論できないだろう。訳者に言わせれば「論語の教えも同じ」とのこと。つくづく思うのは古代の歴史、歴史の浅いアメリカを馬鹿にする気持ちがあるが、日本だって2千年前には文字が無かったから、何も残っていない。セネカの哲学にはお手本があり、それはギリシャ時代から引き継がれているのだ。それを現在まで繋いできた人たちの志を無にしてはいけないと思う。現代の大学生の中でラテン語を選考している学生が日本に何人いるのか知りたくなった。

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