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慶喜

古代〜中世の戦乱5(保元の乱・平治の乱) 

2022年05月31日 外部ブログ記事
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?保元の乱 ☆国の権力闘争が初めて武士同士の戦いで決まる?平安時代の保元の乱 ☆後三条天皇の代になると天皇の権力が復活 *白河、鳥羽天皇も親政を敷く *譲位したあとも政治を行う院政を開始した ☆鳥羽上皇 *子の崇徳・近衛天皇に代わって政務を執り続けた ☆父に不満を抱く崇徳上皇 *関白・藤原忠通と対立していた弟の頼長が接近 *忠通は後白河天皇と結んだ ☆近衛天皇が崩御 *崇徳の子ではなく、弟の後白河が天皇に即位した ☆上皇と天皇の対立は激化 *各々の味方となる平氏・源氏の武将を招集 *保元の乱となり、戦いは後白河天皇側が勝利した ☆崇徳上皇は流刑となった?夜襲を決断した陣営が勝利する ☆後白河方の源義朝・平清盛らが率いる軍勢 *崇徳方が籠もる白河殿を急襲 *先制攻撃が功を奏し、4時間ほどの戦闘で勝敗は決した ☆崇徳方でも源為朝が夜襲を提案していた *南都の僧兵を頼みにしていた藤原頼長がこれを拒否していた ☆結局、夜襲を仕掛けた方が勝利する結末となった?合戦の影響 ☆平清盛の評価高まり武家政権確立が前進する ☆乱は天皇家、摂関家、武家ともども肉親同士での潰し合い *父と弟を失った源義朝の力は弱体化した ☆平清盛は論功行賞で高い評価を受け、政治的影響力を持つ *政の頂点へと突き進んでいく ☆保元の乱は、武家政権のきっかけとなった?勝軍の将、後白河天皇 ☆鳥羽法皇の子で保元の乱後譲位する *上皇、法皇となり院政を敷いた ☆平氏の力増してくると、平氏を討つ算段を企てる ☆政権が源氏に移ってからも頼朝と弟義経の軋蝶につけ込み *武家の力を削ごうとした ☆己の立場を利用したしたたかさ、変わり身の早さから *頼朝に「大天狗」と兪やされた?平治の乱 ☆信西打倒のクーデターは清盛の一人勝ちで終わる?平安時代の平治の乱 ☆白河上皇の院政 *再び朝廷内で政争の火種が燃え上がった ☆平清盛より下位となってしまった源義朝 *院の近臣・藤原信頼に取り入って出世の機会をうかがう ☆義朝は清盛の留守を狙って院の御所を襲撃 *上皇の側近で信頼の政敵・信西を自害させた *邪魔者が消えたことに気を許した信頼 *政治を独断で取り仕切る ☆清盛は密かに天皇と上皇を避難させる *清盛は、信頼・義朝追討の宣旨を得て内裏を襲撃する *義朝は信頼とともに戦うが敗走 *信頼は捕縛のうえ斬首 *義朝は逃亡中に部下の裏切りで殺された?成否を分けた藤原信頼の失敗 ☆クーデターを起こした藤原信頼と源義朝 *二条天皇と後白河上皇を平清盛に奪還されてしまう ☆この失態に義朝は、信頼を罵った *「日本一の間抜け者に協力してバカなことをした」?勝軍の将、平清盛 ☆貴族政治を終わらせた平氏の棟梁 ☆平治の乱では一度信頼に従うふりを見せつつ *その間に二条天皇を女装て内裏から脱出させた *大局を見る目に優れていた ☆乱後は立身出世を果たし政界に君臨した ☆娘たちを摂関家や天皇家に嫁がて権力を盤石なものにした ☆日宋貿易を開始して富を築く *神社や寺へ積極的に寄進した?平氏一門が繁栄し没落していく源氏 ☆戦いに勝利した清盛は、武士として初の公卿となった *その後、朝廷の最高職である大政大臣に任じられる *朝廷の高位高官のほとんどを平氏―門が独占 ☆敗北した源氏は一族の多くが殺害され、急速に衰退 *義朝の3男で嫡子・頼朝は一命を取り留め、伊豆に流された *20年後、頼朝は平氏打倒の兵を挙げる                          (敬称略)                                     ?知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載?出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します?私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います?投資は、自己責任、自己満足、自己判断で?詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください?出典、『日本の合戦』古代〜中世の戦乱5(保元の乱・平治の乱)(『日本の合戦』記事より画像引用)

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