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本居宣長とやまとごころ(1) 

2022年03月26日 外部ブログ記事
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?本居宣長とやまとごころ(1) ☆本居宣長が、自画像一幅に書き添えた歌 『しき島の やまとごころを 人とはば朝日ににほふ 山ざくら花』 ☆宣長の桜に心を寄せる心底の意識に *(高麗)=朝鮮、(唐土)=中国が対比概念として存在していた *日本を意識するとはその様な理由からされた ☆気の毒な誤解が宣長に向けられてきた *「しき島」の歌は大平洋戦争中「愛国百人一首」で曲解・利用された ☆「神風特攻隊」の部隊名 *「敷島」「大和」「朝日」「山桜」と名付けられ *徒花のごとき散華を美化する狂信的愛国主義の表象とされた?本居宣長は、浅薄に捉えきれる存在ではない ☆宣長は、固定観念から距離をとった自由の人 *価値の枠組を転換した変革者 ☆「日本とは何か」が求められる時 *日本人としての自己主張的言説の再生として *宣長が蘇る構造を考えざるをえない?本居宣長なる生き方(知性が国学の祖) ☆本居宣長は白石・徂徠の世代からは2世代後の時代を生きた ☆宣長は「商家の教養」を身につけて育った *8歳で習字、 12歳で書道と謡曲、 17歳で射術 *19歳で茶の湯、20歳で「四書五経」の素読と和歌などを学んだ *宣長の場合、特に写本と多くの書物の乱読に情熱を注いだ ☆宣長は、商人としては知的世界に埋没する傾向が強く *次男の宿命で、紙商人の養子に出され、紙商人としての生活を始める *商売にはなじめぬまま2年で離縁となり松坂に戻った *重い挫折体験であり、母は宣長の将来を心配し *彼の知的素養を生かすべく医者にした ☆宣長にとって母は頭の上がらぬ賢く怖い存在であった *相当なマザコンであった *母との信愛は彼の世界観に正の力を与えた                     (敬称略)                                     ?知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載?出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します?私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います?投資は、自己責任、自己満足、自己判断で?詳細は、出典原書・記事・番組・画像でご確認ください?出典、『人間と宗教』本居宣長とやまとごころ(1)(ネットより画像引用)

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