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平成の虚無僧一路の日記

桶狭間 450年 

2010年05月21日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



桶狭間の合戦ゆかりの各地で行われました。

鳴海町の「中島砦」跡地では、碑を管理する伊藤氏や
隣地の近藤氏が中心となって、琵琶の『桶狭間』を
聴く会が開催されました。ここは「信長が兵を終結させ、
桶狭間への号令を下した“出世成功の足懸かりの地”」
というわけです。

従来の定説では、「信長は激しい雷雨の中、迂回して、
太子が根の山頂から、窪地で休息していた義元を襲った」
というのですが、近年、この「奇襲説」は否定されつつ
あります。
「信長は敵中深く、中島砦まで兵を進め、雨が上がって
から、桶狭間に向かって正面攻撃で突き進んだ」という
のです。

その異説を唱えたのは藤本正行氏。なんと慶応の史学科で
私と同期でした。彼は「長篠の合戦の鉄砲三千丁」も否定し、
今や“知る人ぞ知る”の歴史学者となっています。

彼は「女武者」のイラストも上手で、私も「武者絵」をよく
描いていましたので、意気投合し、家に遊びに行ったこと
など、昨日のように思い出されます。彼は覚えてないかな?

私も「尺八と虚無僧の歴史」の定説に異論を唱えているの
ですが、どうもマイナーで、“まぁいいなぁ”でござりまするか。
ザンネン。

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