ひろひろ48

ベビーブーマー 

2021年10月17日 ナビトモブログ記事
テーマ:テーマ無し

団塊の世代=ベビーブーマー、第二次世界大戦後、ほぼどの国にも起きた現象、戦争が終わり多くの帰還兵と待っていた家族、恋人たち。
突出した人口の世代、戦後復興とも重なり、20世紀の発見発明と重なり新たな製品、商品が生産され、売られ、アメリカの家庭など憧れ、豊かな生活を夢に見て、ラジオからテレビの時代に。ラジオ、テレビからアメリカの音楽が流れ、子供たちは雑誌の付録の鉱石ラジオを組み立て、プレーヤーを買い、ドーナツレコードを買ってお気に入りの歌を聴いたり。電話も普及し始め、ラジオと電話で、電リクで伝言と歌のプレゼント。文明開化か?
その一方、朝鮮戦争が勃発、日本も再軍備をアメリカから強制され、平和憲法がなし崩し的に。60年安保では樺美智子さんが亡くなる。まだ団塊の世代は小学生か中学生。
なんだかんだと、戦後復興のおこぼれもいただきながら、まだまだみんな貧しいか、豊かでないけど、経済的には未来は明るかった。
後年、なんだかんだと批判される「団塊の世代」その同年代の作家 三田誠広の最新の著書「遠き春の日々 ぼくの高校時代」コラム「書く人」の記事から:
激動の時代 今の若者に:
青春、恋愛、歴史、宗教、自然科学など多彩な分野で執筆を続けてきた。古希を過ぎ、「死ぬまでに書き残すべきテーマが一つ残っていた」と、つづったのは自分自身の高校時代の思い出。「半世紀以上も前の話。歴史小説ですね」と笑う。
生まれ育った大阪で高校に入学したのは、東京五輪が開かれた1964年。「そのころのことを思っただけで、胸が苦しくなる」ほど不安と無力感にさいなまれていた15歳にとって、本の世界が唯一の救いだった。中学時代から海外の長編小説に親しんだが、同時代の少年が主人公のツルゲーネフの「初恋」は特別な作品となった。
年上の少女に振り回され、「彼女にとって、僕って何だろう・・」とつぶやく少年。芥川賞受賞作「僕って何」に通じる、作家としての出発点は、彼の独白にあったという。
併設の高校に進学できる私立中学から、未知の世界を求めて受験した公立高校。そこでの経験はまさに、小説のようだ。「初恋」のヒロインと重ね合わせた、後の妻との運命的な出会い、文学を語り合える親友との交流、命を落とした友人もいた学生運動との関わり、「神様」とあがめた文豪との対面・・。
一年前に知った植谷雄高の作品から文学の新たな可能性を感じ、作家を目指すように。二年前に一年間休学し、兄がそろえていたヘーゲルやマルクスの全集など大量の本を読み、仏語を学び、小説を書いた。「学校の勉強をやめて読みたい本を読んだら、世界が広がった。その後の著書は、どれも休学中に蓄積した知識が役に立った」
この間の作品「Mの世界」が雑誌「文藝」の学生小説コンクールで佳作として掲載され、文壇デビュー。その縁で復学後、同誌の編集者に「神様」の植谷を紹介される。姉が劇団四季の女優で「カラマーゾフの兄弟」の主要人物を演じていたことから、ドストエフスキーについて話が弾み、この際のやりとりが後に、同作や「罪と罰」など4大長編の続編や新釈に取り組みことにつながった。
終戦から20年ほどの時期。新たな社会が模索され、高校生も国の将来を真剣に議論した。過激化する学生運動で命懸けで闘う友人たち。「拮抗しなければ」と小説を書き続けた。「重要な時代を生きてきたと思う。その雰囲気を今の若者にも伝えられれば」と願っている。
<引用以上>

たしかにあの時代は「激動の時代」だった。パリ、アメリカの若者も同じだった。あの時代を伝えることも大切かもしれない。でも、阪神淡路大震災、東日本大震災、ここ何年かの台風、大雨の被害、平和憲法を蹂躙するような政治の右傾化、そしてコロナのパンデミックと人新世、地球温暖化。いま、世界史に残る大きな出来事が起こっている。すべては先進国の資本主義的な自然の浪費。いまだから、これからのことを考え、変えていかないとと感じる。



拍手する


コメントをするにはログインが必要です

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ