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すごいこと「あたりまえ」 

2021年10月15日 外部ブログ記事
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怪我から11日目。だいぶ足が付けるようになりました。
強い圧力と刺激を足裏にかけてしまい足底筋膜炎を発生、踵の筋膜の肉離れでした。
今回の怪我で足底に筋膜があることが解り、普段の生活でそれにより、普通に行っている歩いたり走ったりという当たり前の動作の度に痛みを感じてしまいました。
体のどれも無駄なものはないものの、怪我をした事で筋膜が作動する為にとても重要な体の一部だと痛感しました。
一瞬の間に痛みを感じても、特別治療方法もないので、ただひたすらに日を待つしかないです。
しばらくの間怪我をしたときの恐怖心はぬけないでしょうが、足への負担を軽減し、ストレッチなどで痛みを緩和しながら付き合っていく事がベターなんでしょうね。
私の様に、安静にしていれば治る原因のわかった痛みは良いけれど、長期間痛みに苛まれるのはつらいものでしょう。
苦しい痛みに日々向き合っている人が世の中には大勢いるんだから・・・。
目を背けたくなるような悲しい現実がたくさんある中で、改めて心に留めておきたい手記があります。
『あたりまえ』 井村和清作
こんなすばらしいことを、みんなはなぜよろこばないのでしょう。あたりまえであることを。
お父さんがいる。お母さんがいる。手が二本あって、足が二本ある。
行きたいところへ自分で歩いて行ける。手を伸ばせばなんでもとれる。
音が聞こえて声が出る。こんなしあわせはあるでしょうか。
しかし、だれもそれをよろこばない。あたりまえだ、と笑ってすます。
食事がたべられる。夜になるとちゃんと眠れ、そして、また、朝が来る。
空気を胸いっぱいにすえる。笑える、泣ける、叫ぶこともできる。
走り回れる、みんなあたりまえのこと。こんなすばらしいことを、みんなは決してよろこばない。
そのありがたさを知っているのは、それをなくした人たちだけ。
なぜでしょう。 あたりまえ。
作者の井村さんは1979年1月に癌になり、惜しまれつつ逝去ました。
転移を防ぐため、右足を切断、しかしその後、両肺に転移し、32歳の若さでこの世を去った医師です。
死にたくない。生まれてくる子の顔を見たい…。
最後まで生きる勇気と優しさを失わず、わが子と妻、両親たちに向けて綴った「飛鳥へ、そしてまだ見ぬ子へ」は、自分の限られた命を知った時に、家族へ残した愛の手記です。映画化もされています。
失ったときに初めて気付く当り前な事。
「当たり前」のように生活できている裏では、実はたくさんの人が関わっている事を思い知らされます。
有る事が難しい、有難いあたりまえに、感謝を忘れないようにしたいです。
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