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たかが一人、されど一人

ともだち関係 

2021年02月28日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 近くに廃校になった小学校があり、保育園と有料老人ホームに変わったが、校庭だけは未だに区の財産となっているようで、休日は子供の遊び場になっている。今日も賑やかな声に溢れているが、片隅にはお母さん連中が子供数に近く、かたまって子供の様子を見守っている。大人の中にはお父さんもいるが、こちらはだいたい子供遊び相手か、運動を教えたりしている。従って子供と大人の数に大きな違いが無い。たまに高校生らしき生徒がバスケットボールに興じていたりするが、小学校高学年や中学生らしい姿が見られないのが少し残念。娘のところにも来月には小学校を卒業する孫がいるが、ある程度大きくなると勉強が忙しくなるので、友だちと遊ぶ機会が少なくなるのかもしれない。我々の時代と異なり、小さい頃、遊ぶときも親に監視されているのは悪いことではないかもしれぬ。親も、子どもたちがどんな友達と遊んでいるかを知ることも大切なんだろう。そういったことは重要だと思うが、経験を踏まえて思うのは、人生で遊びは知恵の発達や人格形成非常に重要だったということ。ちゃんとした学校教育を受けているので、本来学校でそういったことが身につくはずが、ひねくれ者だったせいか、学校教育より遊びを通じてそういったものが身についたと思っている。未だに付き合っている子供時代からの友達の間では、「遊ぶときくらい真面目にやろうぜ」が合言葉で、他人に迷惑かけない、遅刻しないが鉄則になっている。当然ながら何をしても割り勘が原則だが、最近はた、またま出世して金持ちになった友人が「今日は俺のおごり」と言ってくれれば喜んでゴチになる。教室だけでは本当の友情は育めないだろう。一緒に遊び一緒に食事をした仲だからこそと言うことは何かある。めったに無いが現役時代は友人に頼み事したり、されたりしたこともあった。そんな時は互いにすぐ反応して、共に喜んだりしたこともあるが、うまくいかなかったこともある。でも友人であれば断りも淡々としたもので、付き合いには何の変化も生じていない。その友人が一人去り、また一人去る、この寂しさは何とも言えない。話が飛躍するが、内閣広報官が処世術として「私は飲み会を断らない女です」と語ったことには、公務員の倫理規定に反していても一面の真理はある。頭が良くて飲み会も断らないなんて最高のおばさんだ。むしろこれを喋った会場が超教育協会と聞いたことがない団体だったので、新興宗教かと思ったらIT関連団体を纏める団体のようだった。総務省が作った団体かもしれぬ。彼女にしてみれば位階人臣を極め食うにも困らないだろうし「さっさと首にしてちょうだい」と言いたいだろう。

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