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たかが一人、されど一人

言語空間 

2021年02月25日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 拙文を綴りながら思うのが言葉の乏しさだ。記憶にある言葉の数は非常に多いようにも思うが、己の考えを十分に披瀝出来るほどには多くない。逆説的になるが、知っている言葉の多さが思考を薄めている気がしないでもない。現在使っている言葉の多くは明治維新後に使われ始めたものが多いらしい。使われ始めたと言うより、むしろ明治以降に開発されたと言うべきかもしれぬ。開発の功労者1番手は軍隊とのことだ。軍事に与る軍隊では意思伝達の円滑化が最重要課題であるのは現代でも同じこと。青森出身者と鹿児島出身者間であっても、命令が即座に理解されなくては軍事は覚束ないことから簡潔で覚えやすく理解しやすい言語が多く製造され、その後これが徐々に全国に拡大したと言われている。なんで読んだか覚えていないが、江戸時代の武士たちの訓練は主に個人的修練であったが、明治以降は個人的には鉄砲など触ったこともない一般国民を軍人に仕立てて集団行動を取らせる必要が生じたのだから当然だろう。富国強兵の一方は経済、即ち産業殖産で、これも諸外国から輸入した方策が用いられたから外来語の直訳や外来語そのものが日本語化する傾向も強まったはずだ。かくして僅か1世紀半の間に日本語は膨大に膨れ上がり、遣い方や話し方も江戸時代とは大分変わったはずだ。そして実際に使用される言葉の殆どが明治以降に開発された言葉になってしまった。それが証拠に、我々は維新前後の文章を理解するのが容易でなくなっている。勿論祖父や曽祖父が生き返ってテレビや我々の会話を聞いたらどうだろうか?おそらく半分と理解できなくても不思議はない。近代の先進国にも古語と現代語の違いはあるだろうが、日本ほどの違いは無いと思う。日本ではこの1世紀半のちょうど中間点で世界大戦の敗戦と言う大事件が起こり、その結果明治維新に劣らない舶来語の洪水に見舞われているからだ。社会に出たばかりの頃、日本人は飽食の中の栄養失調と言われた時代があったが、現在の言語空間はまさに酷似している。国会審議などで分かる通り、いい歳をした大人が意味不明の発言をして平然としている。これを伝えるマスコミも何万語を費やしても、それを正す術を持たないようだ。兎も角言語は少ないほうが良いに決まっている。自分で考えるにせよ、相手に伝えるにせよだ。この場でも連日1000文字以上を綴っているが、考えが的確に纏められたと確信できる日は稀のことだ。江戸末期までの教養人達は、手紙せよ考えを文章に起こす際は、先ず自分の考えを確認した上で向かったものだろう。どんなに短文であろうと、主語や目的語や結論が曖昧であったりすることは自分に対して許されなかったと思う。当然ながら受け止めにも同じことが言える。江戸末期から明治初期にかけて外交が思ったより円滑だったのはそのへんに原因があるかもしれない。

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