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たかが一人、されど一人

たそがれ時 

2021年02月24日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 信じがたいことだが、アメリカバイデン大統領に時折認知症の症状が出るという話もある。彼よりは年齢的に上だが「俺は未だ大丈夫」と信じたい。しかし自覚できないのがこの症状の特徴らしいので、他人から見れば時折同様な兆候が見られることもあるのだろう。小学生時代からの親しい友人が、最近老人ホームを本気で探し始めているらしい。社会的には未だ現役経営者であるにも関わらず、最近身辺整理に忙しいと言っている。何れにせよ人生の黄昏時期に入っていることだけは間違いない。若い時から「黄昏」描いた映画や小説を観たり読んだりして、そんなものかと漠然と抱いていたイメージと現在を比べると、大分違う気がする。尤も同じく若い時読んだ青春小説や映画、例えば石坂洋次郎の「陽のあたる坂道」とか映画の「青い山脈」なども現実世界とは大分違っていたから現実とはそういうものかもしれぬ。友人のように現実を直視して将来に備えることが重要に違いない。幸い昔から身軽が好みだったので、所有金品は余り多くないし、家内が亡くなってすぐ、娘を呼んで身の回りについては一通りの説明をしているので、身辺整理の必要はあまり無いと思っている。娘への説明後に増えているものは大して無い筈だ。普段文明の利器なるものをあまり褒めないくせにパソコンの有り難さだけは認めない訳にいかない。昔であればブログは日記のようなものだろう。もし日記を晩年になって書き始め、10年以上となったら、遺族はその処理に結構な手間やら神経を使わねばならない。パソコンの中は昔で言えばゴミの山だが、葬式用の遺影を探すのも簡単だ。専門業者に依頼するまでもなく子供や孫たちが簡単に消去も出来るだろうし、遺品としては、一昔前まで使用していたデスクトップ型とは異なり、ノートパソコン1台の占める容積などたかが知れている。日本人はご来光に手を合わせるとか、万歳などして朝日を尊ぶ人が多いと思う。小生もどちらかと言えば今まではその口だった。一方外国では夕日を尊ぶ人が多いそうだ。中国でも欧米なんかでも同様らしい。日本でも「黄昏」の漢字を当てているから、太陽は昇る時より沈む時の方が見る人に感動を与えるのが自然なのかもしれぬ。昔から「棺を蓋いて事定まる」と言われる通り、人間の真価は本人亡き後で他人が決めるものだ。我が生涯を評価するのは葬式に参加する親族だけではないだろう。その誰からも、好き勝手な生き方をした割に他人様にも余り迷惑を掛けなかった、と言われようになりたいものだ。

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