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平成の虚無僧一路の日記

虚無僧に袈裟は必要か 

2011年08月24日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



「虚無僧」は、「得度受戒」していない「在家」であり、
江戸時代の初めは、「袈裟」は 付けていなかった。

私も、旅する時は、袈裟はつけないことにした。特に夏は
暑いし、邪魔。逆に寒い冬は、風除けになるので、マント
代わりになるので付ける。結構、袈裟一枚で暖かい。

舞台や人前での公演の時は「金襴錦の袈裟」。法要や葬式の
時は「黒の袈裟」をつける。その方が「見た目」がいい。
「サマ」になる。


「袈裟」が無ければ、「インチキ坊主」などと云いがかりを
付けられた時、「袈裟 も 数珠も『お経』も持ってません」 と
いうのが 「逃げ口上」になる。

「あなたが、勝手に『坊さん』と思っただけです。私は、
この通り 『坊主頭』 じゃ ありません」とね。

では「なぜ、布施を得るか」と訊かれたら、「これは日本人の
宗教心。昔から、『乞食の行』を『聖(ひじり)』 として
尊敬し、『施し』 をすることで、『徳積み』ができるという
信仰があったではないですか」と 答えるようにしている。

「あなたの心の中にも、困っている人、修行をしている人に
『施し』を しようという 『慈悲』 の心は ありませんか」と。

「虚無僧」は、あなたの心の中にある「仏心」を呼び起こさせる
存在なのです。


もっとも、馬籠で「職務質問」を受けた時、若いお巡りさんは、
「虚無僧」を全くご存知なく、いちいち説明するのも面倒。
「明暗教会・会員証」を見せたら、それを書き写して、納得。

「以前、虚無僧が数人で来て、『布施が少ない』と 店の人と
トラブルがあったので、通報を受けた。その時は、こういう
免許を持ってなく、寺の名前も云わなかったので」と。

「で、尺八は吹いていましたか?」と聞くと、「いや尺八は
吹いていなかった」と。なんだ、それこそ、いかがわしい
「托鉢坊主」じゃ。最近は減ったが、迷惑な話だ。

もっとも、「虚無僧」も、江戸時代から つい30年前まで、
ゴロツキの“悪”は 結構いたのだ。

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