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日本の歴史を動かした「魔の法力」7(後醍醐天皇)(足利義満) 

2020年11月19日 外部ブログ記事
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?密教と闇の日本史(中世編)2(後醍醐天皇)(足利義満)?”文観”は、南朝の王権と「三種の神器」を守った密教の力 ☆清浄光寺(遊行寺)は、時宗の総本山 *遊行寺には、 一帳の異様な肖像画が存在する *密教の行者の様な姿の後醍醐天皇像 ☆後醍醐天皇 *鎌倉幕府を倒して天皇による政治を復活させた *皇室が2つに分裂した際、吉野の山の中に南朝を自立した ☆後醍醐天皇の肖像画には、見る者を吸い込むような魔力がある ☆後醍醐天皇が法衣の姿で描かれている *天皇のバックには、多くの密教僧や修験者たちがひしめいていた *南朝は、強大な呪術者の帝国と化していた ☆”妖僧”真言僧の文観、後醍醐帝に気に入られていた *文観は、魔神ダキニを祀り、外法を駆使した *『太平記』には、後醍醐天皇の后である中宮直子 (安産を祈祷する文観の姿が描かれている) ☆文観、ドクロを壇上にかかげ幕府を呪誼する調伏祈祷を行なう ?”文観”、妖術の力で、後醍醐天皇「建武の新政」を実現させた ☆一介の真言律宗の僧文観 *東寺の一長者となり、高野山の座主にまでなった *真言宗全体の頂点にのぼりつめた ☆文観は後醍醐天皇に東寺に秘蔵されていた仏合利を献上 *仏舎利を国家鎮護の本尊とする秘法を授けた ☆4代南朝の王権と「三種の神器」を守ったのは、密教の力だった?”満済”足利将軍家を陰から操っていた“黒衣の宰相” ☆三代将軍の足利義満 *南北朝を合一させ、金閣寺を作り、天皇と思われる権力を誇った ☆金閣寺・銀閣寺は、臨済宗の禅寺である ☆足利将軍家が、臨済禅と密接な関係があった ☆政治にはつねにウラ側があるのである ☆足利義満には、政策や人事などのすべてを相談する僧侶がいた *臨済宗ではなく醍醐寺の真言僧”満済” *満済は、通称を「満済准后」と呼ばれ皇后に準ずる者を意味した (限りなく天皇に近い地位で、摂政、関白、将軍などの称号) ☆満済は、三代将軍義満、四代将軍義持、六代将軍義教につかえた *足利幕府の黄金期を陰から支えた *重要な決定の背後には、必ず満済がいた ☆六代将軍の決定に、満済の意向が大きく反映された ☆義教は冷徹な将軍で、処刑・処罰を行う恐怖政治をしいた *満済の意見や諫めにだけは黙って従ったという *天台僧だった義教は、満済の実力と怖さをよく知っていたのだ ☆満済は″黒衣の宰相″と呼ばれるようになる *将軍家のフィクサーで、力を示す存在でありつづけた                  (敬称略)?知識の向上目指し、記事を参考に自分のノートとしてブログに記載?出典内容の共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します?私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います?詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください?出典、『眠れないほどおもしろい「密教」の謎』日本の歴史を動かした「魔の法力」7(後醍醐天皇)(足利義満)(『眠れないほどおもしろい「密教」の謎』記事、ネットより画像引用)

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