メニュー

最新の記事

一覧を見る>>

テーマ

カレンダー

月別

たかが一人、されど一人

形の問題 

2020年09月18日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 弱いくせに囲碁がやめられない。困ったことだが誰に迷惑かけるわけでもないので、相変わらず最大の暇つぶしだ。ところでふと思ったことがある。石の形のことだ。石は全て丸いのでその形ではなくて、並べている石の姿を言う。もう大分前になるが、若い頃勤務していた会社に花を活けに来ていたお花の先生が言ったことを今になって思い出した。その先生が来た時、傍らで先輩二人が囲碁に興じていた。古き良き時代のことだ。先生曰く「私はよく分からないけれど、テレビで観ていると上手な人が打つ囲碁は石の形が美しいです。」傍らの先輩がどう聞いたか分からないが、当時こちらは覚え初めのことで、先輩の打つ囲碁は勝負が進むに連れ何がなんだか分からなくなってしまったことが思い出される。今考えると、スポーツなんかでも形は非常に大事なようで、特に格闘技はシャドウ〇〇と言うぐらい形を訓練するものらしい。相撲でさえ決まりては一種の形だろう。決まった形は観ていて美しいのも事実。山登りだってスキーだって、その人の姿形でその人の年季が分かるとしたものだ。形は他にも沢山ある。文章の形もあろうし、大きく言えば国の形まである。書は人を表すと言うが、最近筆記用具を手にして文字を書くことが無くなって久しい。明日の墓参りを控え、寺にお届けするお布施ののし袋、筆ペンを取り出して表書きを書くのが一仕事で面倒くさい。しかもこれが名代の金釘流で、これまでに納得いった試しがない。悲しいことだ。乏しい経験だから当てにはならぬが、総じて中国の人は字が上手な人が多いように思う。さすが書の国だけのことがある。漢字を基本とするのは台湾も同じだが、台湾は簡体漢字を使わないので台湾に行くと看板なんか読みやすい。しかし、池袋にある台湾料理店のメニューを見るとけっして上手な文字で書かれていない、どちらかと言えば本国系の中華料理店の方がむしろ日本で使っている漢字で美しく書かれているのが不思議だ。一昔前に誰かが「美しい国-日本」を唱えたが、きれいな姿形は大事なことだが、美しい国とは何を目指すのだろう?まさか富士山のゴミを拾う訳でもあるまいし。囲碁に話が戻るが、意味不明な石は大抵相手に無視される。同じことで意味不明な言葉は美醜以前に問題とするに当たらないだろう。*長野に墓参りに行きますので、明日とひょっとしたら明後日も休みます。

>>元の記事・続きはこちら(外部のサイトに移動します)





この記事はナビトモではコメントを受け付けておりません

PR







掲載されている画像

    もっと見る

上部へ