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「夕暮まで」 

2020年08月11日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

〔1980年/日本〕小説家の佐々(伊丹十三)は、女友達に誘われたパーティで、若い女・杉子(桃井かおり)と出会った。周囲の者から「杉子は処女、そして食いしん坊」というのを聞いた佐々は、杉子を誘い、美味しいものを食べ歩き、その後、ホテルに行く、というのが習慣になる。しかし、杉子は、佐々のどんな要求に応じようとも、最後の一線だけは決して越えさせず、擬似性交が限界だと言う。何の取り柄もない自分にとって処女は、「いい結婚するための、大切な宝」なのだと・・・。中学生の頃、吉行淳之介さんの原作を読んだ。意味が分かったんだか、分からなかったんだか、微妙だったけど、とにかく、大人の世界を覗いたような気持ちになった事は憶えている。男と抱き合っても、決して最後の一線を越えない事を、たしか、「テクニカルバージン」を表現されていた事、そして、その行為の際は、オリーブオイルを使う事など、所々、覚えている。ただ、当たり前の事だけど、文字で読んで、自分の頭の中で思い描いていた世界観と、映像化したものは、必ずしも一致しないのだと、あたらめて思い知る。例えば、佐々と杉子が出会った「パーティ」一つにしても、私が考えていた、「知的な大人の集まって語らう場」とは程遠い俗っぽさで、最初からガックリくる。桃井かおりさんは大好きだけど、当時29歳の彼女が、「若くて」「処女で」「処女は大切な嫁入り道具という考えの持ち主」にはとても見えない。桃井さんって、そういうイメージではない。1980年頃って、まだ女性の処女性が、そんなに大事にされていたんだろうか。1979年の「金八先生」の第一シリーズで、鶴見辰吾と杉田かおるは、中学生で子供を生んでいるではないか(笑)。まぁ、それは冗談としても、例えば、1980年に結婚した山口百恵は、著書「蒼い時」の中で、三浦友和氏との関係を記しているし、もう、それほど処女に拘る時代ではなかったように思うんだけど。まぁ、そんな事はいい。この映画を観られた事は、心の底から嬉しい。この小説が映画化されているのを、大人になってから知り、めちゃくちゃ観たいと熱望したけれど、ビデオ化も、DVD化もされていないようで、もう一生観るのは無理かと、諦めていたから。なので、名画座にかかると知った時は嬉しくて、その日を心待ちにしていたというわけで。フィルムはかなり退色していて、全体がピンク色で、決して見やすい映像ではなかったけど、私にはそんな事はどーでもいい。..

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