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75年前の敗戦まで飛行機を作っていた少女たちの記録 

2020年08月03日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し


昭和の戦争が激しくなると、工場に働く男性たちは次々と軍隊に取られ人手の無くなった工場に、中学生や女学生が駆り出されました。私もその1人ですが、こんな怖いところへは配属されませんでした。



飛行機工場で働かされた、武蔵高女の方々が、戦後28年経って、文集にまとめられました。もう50年近く前にまとめられた冊子です。
その膨大な資料をネットにのせてくださった、大和田瑞穂さんから頂いた、記録です。
あまりに膨大で、どこを選べばいいか困っていたら、大和田さんが、選んでFacebookに載せられたので、私もここからラジオに読ませていただくことにしました。


これを書かれた方々は、ご存命なら89歳90歳91歳92歳になっておられるはずです!


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【8月だから毎日1頁ずつ紹介します!】
『飛行機工場の少女たち〜女学生勤労動員の記録〜』より


戦時下の東京。青梅線、立川駅から4つ目「昭和前駅」(当時)のすぐ近くにあった昭和飛行機工場。主に「ダグラス輸送機」を作っていた従業員約15000人の大工場でしたが、工員さんたちが戦場に行き、手薄になったため、働き手として男女の中学生が動員されたそうです。当時の教育制度では、尋常小学校を卒業すると男子は中学校、女子は女学校(高等女学校=高女)で学びました。この手記は、当時「武蔵高女(武蔵高等女学校)」の2期生から4期生、つまり14、5歳だった少女たちが28年後につづったものです。



表題は同じですが、別の方の記録です。
第二話

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