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ニャンコ座リポート

ちょっとまとめてみることにするのT (7/10) 

2020年07月10日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

 入院中に早起きの癖がついたわけではない。もともと不眠症で、早朝に目覚めてしまうことはざらで、それでも自分の家ならば2度寝を楽しむなり、テレビをつけるなり、いっそ起きてしまうなりできたわけで。病院は、カーテンの仕切りの中で、トイレ以外の音を一切たてないようにするのが、けっこう大変だった。
 退院して、交流のある人たちに順次ごあいさつをと思っているのだけれど、超スローペースでしか動けず物事には優先順位ってものがあるので、そこまで手が回らず、失れしたままになっている方がたくさんいます。どうか、もう少しゆっくり待っていてください。
 毎朝目が覚めて、体を少し動かしてみて、痛みが無くなっていないかを確かめるのだが、そうは問屋は卸さない。目覚めていない体は、前日よりも痛いのが現実。昨夜は、売るほど持たされた湿布を一袋7枚全部貼ってやりましょうと、割を食っていたいところにまで貼ったら、いざ布団に入ったら、スースーして寒かったです。笑える。
 先天性股関節脱臼だった私は、歩きだしてからおかしいと気づかれ、開脚するベルトのようなものをつけていましたが、骨が弱かったのか、病院も未熟だったのか(もしかしたら軽い医療ミス)、小学校に入る前の冬には、痛くて歩けなくなりました。臼蓋形成不全ってやつですね。
 両親は、全国から患者がやってくるという、登別厚生年金病院のウツミ医師に託し、2年にわかって治療を受けました。2年生で受けた大手術は、たぶん寛骨臼回転骨切り術というのでは無いかと思います。はっきり認識しないまま、主治医も両親も死んでしまい、その病院でも確かめていないので、わかりようもないです。でも、初めてあすなろへ行った時に、イッチャンセンセは当時としては最高の治療をしてもらっていると断言してくれました。2か月間ギプスで固定され、さらに2か月間のリハビリ、7歳の子供が(親もついていない状態で)どんなふうに耐えたのか我が事なのに想像もできないし、退院後はほとんど何も制約なく生きてきたつもりでした。
 それが良く50年以上もったものだ。確かに妊娠で体重が増えてくると痛くなって、結果子供は一人にはなったけれど、ポーツ的レクリエーションにも躊躇せず参加していたし、軽めの登山だってしてきた。でもパーキンソンを発症し、ごちゃコンやファーチレのDVDを見て、自分の歩き方のあまりのひどさにショックを受け、何より歩けてはいてもどの方向に動かしても痛くてたまらない状態になり、覚悟を決めた。
 長くなったので、明日に続きます。

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