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昨日、沖縄慰霊の日の詩___ストリートビューで道を見る 

2020年06月24日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



昨日は沖縄慰霊の日でした。毎年私は少女の詩を聴く。総理の演説なんか聞かない。
毎年登壇する少女は、決して朗読はしない。マスコミはなぜ「詩の朗読」と言うのだろう?凄い違和感を覚える。
どの少女も原稿なんか見ないで、自分の言葉を語った。朗読はしていなかった。だから伝わった。空々しい総理の原稿を読む姿なんか見たく無い。


沖縄戦が激しかった頃、東京の私の家は焼け残って、毎晩のように鳴る空襲警報に寝不足になりながら工場の焼け跡で貴重な部品を拾わされていた女学生だった。
いずれ家は焼かれて無一物になるのだろうと、妙な諦めで、日を送っていたけれど、沖縄がどうなっていたか全く知らなかった。


沖縄戦の話は色々聞いた。ゾッとする恐ろしさは感じるが、その場にいなかった私には本当の恐ろしさは伝わっていないのだろう。
あの戦争を語る人が死に絶えた後、戦争の無残さを誰が伝えていくのだろう?伝わるのだろうか?
戦争しても良いと思っている政府を支持する人がいるこの国。
ドイツのような戦争の反省もしていないこの国に、あの悲惨さは言い伝えられるのだろうか。
焼夷弾の雨を知っている私はどう伝えれば良いのか、婆は深刻に思う。自分に何ができるかと。


先日、町役場までの林の中の小道は確認したが、雨で引き返してしまった。
その先の道はどんなかと、朝早く目覚めてからストリートビューで見ていた。
水道タンクを曲がった先の道は狭い! 中央通りとの交差点も、大きな蕎麦屋があるけれど、小さな交差点。中央通りはやはりガードレール側しか通れないなあ。老人ホーム前で横断するのは容易じゃ無いが。それでもホーム前までは左側のガードレールの中を行くしかなさそう。右側の老人ホームに行きたいのだけど狭いから右端を走るのは無理のようだ。巨大なトラックたちが怖いから。あ


眼鏡ができたら、この道から行ってみよう。
川越街道の裏道、トラックだらけの中央通りを通らずに、ホームに行くことは不可能なんだから。そこまでは、車の少ない道を行こう。早朝に調べたことでした。


そのあとまだ早い時間だったので、発するFMを聴き始めて朝9時まで、テレビをつけないで聴いていた。ニュースオプエドなどは時々聴いている。



そこへケアマネさんから電話で、明日の夕方介護用品屋さんと一緒に突っ張り棒のテストをしに来てくださるとのこと、早手回しに手配していただいて、助かります。


さて少しは片付けておかなくちゃ。床にいっぱい物が落ちていて、屈むのがきついから足でまとめてから拾おう。私の足は器用に物をつまんで拾ったりできるし。

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