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◆さらば、夏の光よ◆ 

2020年06月15日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

さらば、夏の光よ (講談社文庫)作者: 遠藤周作出版社/メーカー: 講談社発売日: 2013/12/13メディア: Kindle版昨日、感想を書いた、映画、「さらば夏の光よ」。映画と、原作のストーリーがまるで違う、と書いたけれど、気になって、読み返してみた。やっぱり違う。昨日書いた事とかぶってしまうけど、小説は、遠藤周作さんが講師をする短大の生徒、南条、野呂、京子の悲しい物語だ。南条はそれなりにイケメンのようで、片思いしていた京子と、遠藤先生や、野呂の協力もあって、晴れて、恋人同士となる。それに対して、野呂は、女生徒から、陰で、「ノロマの野呂さん」と言われるような、冴えない学生。でも、野呂も、実は京子が好きなのだ。そして、そんな気持ちはおくびにも出さず、南条の恋を応援する。京子が、結婚前に、南条の子を妊娠する。この時代、結婚前に妊娠するなど、良家の子女には有り得ないことで、京子の父親は激昂するが、それでも、なんとか、南条と京子は婚約する。物語の本筋はここからだ。幸せの絶頂にいる南条と京子だったが、南条が交通事故で死んでしまうのだ。すると、何という事か。野呂が、京子の家にやって来て、京子とお腹の子を、丸ごと引き受ける、と京子の両親に突然言う。京子の両親は、「地獄に仏」と言わんばかりに、野呂からの申し出に飛びつき、京子の意思とは無関係に話を進め、京子は野呂の妻になる。結婚生活がスタートするけれど、けれど、どうしても無理だった。「ノロマな野呂さん」と、夫婦となっても、京子は、生理的に彼を受け付ける事ができず、苦しみ抜く。野呂の優しさは京子を救うどころか、追い込んでゆくだけ。難しい問題だ。野呂の愛は、自己犠牲なのか。それとも、自己満足なのか。結果論だけで言うと、自己満足という事になる。だって、京子は最悪の結果を迎える。野呂さえいなければ、京子は、シングルマザーとして、強く生きていったのではないか。野呂が、遠くから見守っていてくれていれば、と、思わずにはいられない。-------------映画のおかげで、久し振りに、この本を読んだ。やはり、映画と原作は全くの別物だったけど、どちらも楽しめたし、なにより、本を再読する機会になって良かった。〓

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