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「雨のなかの女」 

2020年04月18日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し

〔1969年/アメリカ〕専業主婦のナタリー(シャーリー・ナイト)は、ある朝、置手紙を残して家を出た。理由は自分でも分からない。何か不安で、何かもどかしく、旅に出たくなったのだ。途中、ヒッチハイクしている青年・キラー(ジェームズ・カーン)を拾う。彼は、大学のフットボールの花形選手だったが、怪我をして放校となり、ガールフレンド・エレンの父親に仕事の紹介をしてもらうつもりなのだ。ナタリーはキラーを、エレンの家まで送るが、フットボールを辞めたキラーには何の価値もないと言わんばかりに、エレンから冷たい言葉を浴びせられる。その後、ナタリーはパレードで賑わう通りでキラーを撒こうとするも、結局、見捨てることができず・・・。なんだろう、この主人公のナタリーって人は。夫との生活に何か不安や戸惑いを覚え、家を出た、それは分かる。人間、生きていれば、そんな日もあろう。でも、それなら、なぜ、ヒッチハイクしている男なんて拾うかな。彼女は一人になりたかったんじゃないの?一人で自分の人生を見つめ直したり、考えたりしたかったんじゃないの?それとも、別の男とのアバンチュールを楽しみたかったのか?彼女は、キラーという男を車に乗せたおかげで、散々な目に遭う。彼さえいなかったら、そんな思いはしなくて済んだ、という事ばかり。せっかく夫から少し距離を置いて、ゆっくり考えようって時に、かえって苦労を背負い込むとは、一体何がしたいのかさっぱり分からない。しかも、彼女は妊娠初期なのだ。何かトラブルがある度に、体は大丈夫か?と、架空の話ながら、気が気じゃなかった。この映画は、あのフランシス・F・コッポラ監督が、今までのハリウッドの映画製作の規制の多さに辟易して、自由に撮った作品だと解説されていた。例えば、それまでハリウッドで主流だった、作られたセットでの撮影から、本当にロケをして、地名通りの場所で撮影されたとか。もしかしたら、そういった映画作りの在り方を見せるための、実験的映画という意味合いの方が強く、主人公の生き方云々は二の次だったのかもしれない。評価 ★★★☆☆

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