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日本書紀巻19・20(欽明・敏達(びだつ)天皇) 

2020年03月31日 外部ブログ記事
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仏教の受け入れをめぐる蘇我・物部氏の対立

百済の聖明王から仏像や経典が伝わる
 ☆欽明天皇から仏教を受け入れるべきか問われた
 *蘇我稲目の答え
 (西の諸国はみな、仏像を礼拝している)
 (我が国だけが乗り遅れるわけにはいかない)
 *物部尾興の答え
 (我が国には、天地に180の神々がいる)
 (異国の教え(仏教)を拝せば、神々の怒りを招く)
 ☆仏教の受容で、蘇我氏と物部氏が対立した背景
 *蘇我氏は渡来系の氏族と深い関係にあり、仏教に知識や理解があった
 *物部氏は日本古来の神々を祭祀する一族だった
仏教受け入れに、稲目と尾興の意見は真っ向から対立
 ☆欽明天皇は、稲目に仏像を授けて私的な礼拝や寺の建立を認めた
 ☆直後に疫病が発生し尾興によって仏像が廃棄され、寺も焼かれた
 ☆仏教をめぐる対立
 *稲目と尾輿の子である蘇我馬子と物部守屋にもち越された
百済から再び2体の仏像がもち込まれた
 ☆馬子は各地に堂塔を建立し仏像を崇拝したが再び疫病が蔓延
 ☆敏達天皇の命を受けた守屋らにより、再び廃仏毀釈が行われた
 ☆蘇我氏と物部氏は皇位継承の問題も重なり、本格的に衝突する
 ☆排仏派の急先鋒は、敏達天皇だったという説もある
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『『日本書紀』と天皇126代』


















日本書紀巻19・20(欽明・敏達(びだつ)天皇)
(『『日本書紀』と天皇126代』記事より画像引用)

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