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「Fukushima 50」 

2020年02月06日 外部ブログ記事
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〔2019年/日本〕2011年3月11日。午後2時46分。東日本を襲った大地震により、福島第一原発は、巨大な津波に襲われる。浸水により、全電源は喪失。原子炉の冷却装置は停止し、格納容器内の圧力は急上昇。メルトダウンを回避すべく、原発内に残った50人の作業員は、容器内の圧力を下げる「ベント」という作業を決行するが・・・。試写会で観た。あれから、もう9年。だけど、まだ9年。東日本大震災が起こった日と、その後の出来事は、永遠に忘れる事はできない。 ↓https://aomikamica.blog.ss-blog.jp/2011-03-18巨大津波や火事の映像は、今までにない衝撃で、テレビの画面を食い入るように見つめるしかなかった。そして、起こった原発事故。津波の被害だけなら、強い日本人だ! 絶対立ち直れる! と思えたけど、放射能となると、どんなに頑張ったって、どうする事もできない。暗澹たる気持ちになったものだ。この映画は、あの日、あの時、福島第一原発の中で、どのような事が起こり、そして、最悪の事態を回避するために、どれだけの作業員さんたちが死と隣り合わせで頑張ってくださったのかを描いた作品。それはもう、想像以上の過酷さで、もしも、あの時、こんな風に責任感の強い人々がいなかったら、おそらく日本は壊滅的な状況になっていたのではないかと想像され、背筋が寒くなるような思い。実際、映画の中の地図で描かれていたけれど、最悪の事態が起こった場合、福島第一原発を中心に半径240キロもの広範囲に、被害が及んでいたという。多くの人々のおかげで、日本が助かり、自分は生きている。感謝の気持ちしかない。そして、復興はまだ道半ば。故郷を離れ、いまだに自分の家に帰れない方々が沢山おられるという事実も、忘れてはならない。上映前に、佐藤浩市さん、吉岡秀隆さん、若松節郎監督による、舞台挨拶があった。佐藤さんら俳優陣は、撮影後、やつれてしまうほど大変な撮影だったそうで、多くの皆様に、あの時の事を知ってほしいと話されていました。地震や津波、そして今の新型肺炎にしてもそうだけど、人類は常に、何らかの脅威にさらされて生きている。私は宗教とは無縁の人間だけど、何か、見えない力に試されているような、そんな気さえする。様々な出来事が、天災か人災かは別として、起こってしまった困難に対して、どう対処していくかで、未来は大きく変わる。自分にできる事は少ないけど、今、考え付く..

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