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崇神天皇は『ハツクニシラス スメラミコト』 

2020年01月25日 外部ブログ記事
テーマ:テーマ無し



崇神天皇((出典の参照、一つ見方のご確認よろしくお願します)

 ☆日本の第10代天皇で、実在した可能性のある最初の天皇
 *3世紀後半ごろに実在した大王と推定されるが、定かではない
 ☆開化天皇の第二皇子、母は伊香色謎命で後の物部氏の系譜に連なる
 ☆異父兄に彦太忍信命(磐之媛の祖)。異母弟に彦坐王(神功皇后の祖)
 ☆即位5年から7年にかけて疫病が流行したが、大物主神を祀ることで治めた
 ☆即位10年、武埴安彦の反乱を鎮め、四道将軍を各地に派遣した
 ☆即位12年に戸口を調査して初めて課役を科した

第10代・崇神天皇「タタリ神天皇」ではなく「スジン天皇」と読む
 ☆崇神天皇を記紀で読むと、驚愕の事実が浮上
 ☆崇神天皇の「生贄の儀式」
 *生きた人間が生き埋めにした皇子の葬儀
 (卑弥呼も「殉死」の葬儀を行っている)
 ☆崇神天皇が即位してから5年間、疫病が大流行し、人口が半分以下に激減
 *理由は、「大物主の意思(タタリ)である!」という
 *崇神天皇は、天照大神の解任、宮中から追い出す
批判を覚悟のうえで、崇神天皇を記載する
 ☆崇神天皇は、創始者「ハツクニシラス スメラミコト」、しかし日本伝統の天皇と異なる?
 ☆日本書紀の編集者である藤原不比等も、崇神天皇を嫌っていたのでは
 ☆崇神天皇は、大酒飲みで暴力的と、三輪神社で大酒を飲んでた記録もある
 ☆崇神天皇の「儒教思想」、根本にあるのは中国の儒教の思想なのでは
 *王権神授説・・・・王が人民を治める権限を神から授かること
 *人民を司牧・・・・馬鹿な人民を奴隷のように扱うこと
 *群臣の忠貞・・・・下のものは上のものに絶対服従すること
 ☆神⇒王⇒民の序列、日本の神道には全く見られない考え方
 ☆崇神天皇の時代から、突然中国の思想を語り始めた
 *中国と日本が頻繁に交流していたという記録はない
 ☆崇神天皇自身が、大陸からやってきたと見るほうが自然なのでは
 ☆崇神天皇の出身
 *始皇帝の命で日本に来た徐福の子孫、又は徐福本人
 *新羅に渡った、始皇帝の残党
 *秦氏が大陸から呼び寄せた雇われ天皇
 *騎馬民族の出身
 ☆崇神天皇は、歴代天皇の日本人のキャラとは全く異なる
知識・意欲の向上目指し、記事を参考・引用し、自分のノートとしてブログに記載
出典内容の知識共有、出典の購読、視聴に繋がればと思いブログで紹介しました
 ☆記事内容ご指摘あれば、訂正・削除します
私の知識不足の為、記述に誤り不明点あると思います
詳細は、出典記事・番組・画像で確認ください
出典、『ウガヤフカアエズ王朝実在論』、『WIKIPEDIA』、YouTube『「倭国」の時代ー』












崇神天皇は『ハツクニシラス スメラミコト』
(YouTube『「倭国」の時代ー』より画像引用)

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